第39回 扉を開けて店に入ってきてもらうために〜深谷由布さんの話(1)


 
 2022年7月1日。東海地方は過去最短で梅雨が明け、この日の岐阜の最高気温は38度。名鉄岐阜駅に降り立つと人影はまばらで、太陽光線が強すぎるのか街全体が白っぽく映る。目指す古書店は駅から徒歩15分ほどだが、暑さのため歩くのを断念しバスに乗車、柳ヶ瀬バス停で下りて店に向かった。
 これから始まるシリーズは、岐阜の古書店『徒然舎』の店主、深谷由布さんの話だ。2009年に古本のネット通販を開業、2年後には殿町(とのまち)に実店舗を構え、現在の美殿町(みとのまち)商店街に移転したのは2014年10月のこと。
 わたしは深谷さんがネット通販を始めたころに書いていたブログをずっと読んでいて、のちにツイッターもフォローし、一方的にお店の変遷を見つめていた。靴を脱いで入る初代店舗から広い店に移転、経営もふたりになり、アルバイトや社員も雇い、昨年法人化したときには、店に行ったこともないのに感極まって感情が暴走し、花を贈ってはご迷惑だろうかと本気で考えた。生来の腰の重さが災いして今に至るが、まずは店に行けと改めて思い、今回の取材となった。深谷さんのこれまでと、これからの話を、聞いてみたかった。
 
 店は角地にあり、青いタイルが印象的なビルの1階で、ガラス張りの店内は明るく、外からも様子が見えるので入りやすい。入って正面の区画は新刊、右手に古本新入荷の本が並ぶラック、奥の青い棚には文庫、それを囲むように絵本・児童書、社会科学、文学、郷土の本の棚。ほか、自然科学、美術、民俗学、音楽、映画と品揃えは幅広い。雑然としたところがなく、どの区画も棚に美しく本が収まっていて、ゆるやかにジャンルがつながっている。内容的に堅い本もやわらかい本も、分け隔てなく並んでいるので、自分の興味を深く掘り下げていくのも楽しい。適度な広さで、お店のスタッフや他のお客さんの気配を感じつつも、自分ひとりの世界に没頭し、落ち着いて本を選ぶことができる。
 つまり、とても居心地が良い空間なのだ。
 
「わたしは個人店に行くのがあんまり得意じゃなくて、その気持ちが表れているのが自分の店なんです。初めてのお店に行くの、すごく苦手なんですよ。隠れ家的な店とか、俺の城的な店には怖くて入れないんです。店主と気が合わなかったらどうしよう、買うものがなかったらどうしようって考えちゃって、ネットですごく調べて、大丈夫そうって思わないと行けない。それくらい個人店が苦手だけど、自分がやってるのは個人店だから、なんとか入りやすい店にしようと考えました。
 店主の居心地や世界観を重視すると、どうしても入りにくい店になるんですよね。だから、自分の店はコンビニみたいな店でありたいと思ってました。なんとなく入って買いたいものがあったら買うし、なかったら出て行く。それくらいラフな感じの店がよかったんです」
 
 店がガラス張りだったのはたまたまだが、中が見えると入りやすいだろうと、窓側を棚で埋めることは極力避けている。入ってすぐのところに新刊を置いているのは、安心材料的なところもある。
 
「わたしが開業したのと夏葉社さんが創業したのは同時期だったこともあってご縁があり、うちで新刊を置いて売ったのは夏葉社さんの本が最初でした。そこから、新刊書店にあまり置いていない本を置くとお客さんが喜んでくれることを知って、いろいろな出版社のものや、リトルプレスを置くようになったんです。定期発行のリトルプレスを目当てに来てくれる方もいらっしゃいました。とくに、こういう個人店の古本屋に初めて来られたのかな、という方は、新刊を買って帰られることが多いですね。新学期とか長期休暇中とか、初来店の雰囲気の方が多い時期は、新刊の売上げが上がります」
 
 帳場の仕様にも、心をくだいている。
 
「前の店のときは、お客さんとこちらの距離感が近かったので、良くも悪くもお客さんの空気に影響を受けることが多かったんです。すごく喜んでくださったことも伝わってくるんですが、何も買うものがなくて帰られたんだなとか、ただの時間つぶしなんだなとわかってがっかりしてしまうこともある。
 そういう一喜一憂に、お客さんもわたしもできるだけ左右されないように、物理的に距離をとろうと思って、いまの店では、レジの前にカウンターがあり、さらにその前に低い本棚を置く、という造りにしました。といっても、隠れるわけではなくて、相談などはしやすいように顔を見せつつ、距離をとるようにしています。なにしろ自分は個人店では緊張してしまって、店主が機嫌悪かったらどうしようってどきどきしたりするので、店主の機嫌を気にせずに、お客さんが気軽に出入りできるといいなって」
 

 
 店の空気感をつくるのと同時に、古書店主の本領として、どうやって本を並べ棚をつくっていくかは日々のだいじな仕事だ。深谷さんはなにより、店に本を並べるのが好き、という。
 
「こう並べると売れるんじゃないかと考えて並べた本が売れていくのを見るのが、なにより好きです。さっきまで売れていなかったのに、ぱぱっと並べ直すと、その本が売れるんです。古本市やイベントに出店したときにも、わたしが触るとその本が売れるのが楽しくて。でもこれは古本屋あるあるとして、よく他の古本屋さんとも話すんですけど、店主に限らず、お客さんが触ると、その本が売れるんですよ」
 
「古本は見つけたときに買え」「いつまでもあると思うな親と古本」などと言われるが、古書店で気になる本を見つけて、次来たときに買おうと思っていても次はない、というのはよくある話だ。人間の手が触れることで、急に光が当たり出すのかもしれない。
 
「店に置ける本の量は決まっているし、見やすく並べたいし、お客さんには全部の本をPRしたい。広くない店ですし、死んでる棚はつくりたくないので、常に棚を触るようにはしています。古本屋にしては本の回転が早いのがうちの店の特徴のような気がしますし、自分で回転させている面もあります。
 あんまり入ってこないジャンルのものは残っていたりするんですけど、基本的には棚に並べて1年経ったらその本は抜くようにしています。値札に日付が入れてあるんです。入荷して、日付を入れた値札を付けたら入口近くの新入荷ワゴンに入れる。そこで数日から1週間経ったら棚に移動、そのタイミングで棚の本を確認して、古い日付のものがあったら抜く、という流れです」
 
 週に何回も来たり、毎日来るようなお客さんは、まずは新入荷ワゴンを見るという。棚の本の並びはジャンルごとに分かれているが、入荷によってはジャンルごと棚を移動することも頻繁にある。するとそこに光が当たる。
 
「わたしはけっこう堅めの本を触るのが好きで、うちの売れ筋でもあるんです。ジャージを着た気軽な感じの方が5000円くらいする哲学書をさっと買って帰られたりするので驚くんですけど、嬉しいですよね」
 
 古書店といえども、新入荷の本は日々変わり、棚も常に動いていく。その新鮮さを保つには、なにより買取や古本市場での仕入れが肝になってくる。岐阜の地で根付く店にするために、数かずの試行錯誤を重ねてきたのだ。

( 毎月第4水曜更新 )

過去の連載を読む
第33回 古書店であり、酒と肴の店であり〜蓑田沙希さんの話(1)
第34回 ユニコーンと共に生きる〜蓑田沙希さんの話(2)
第35回 あやちゃんが札幌にいるから大丈夫〜蓑田沙希さんの話(3)
第36回 いまにつながる大学で学んだこと〜蓑田沙希さんの話(4)
第37回 子どもを産んで変わったことと変わらなかったこと〜蓑田沙希さんの話(5)
第38回 人生はつながっていく〜蓑田沙希さんの話(6)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第38回 人生はつながっていく〜蓑田沙希さんの話(6)

 
 現在、蓑田沙希さんは『古本と肴 マーブル』の店主をやりつつ、フリーランスで編集と校正の仕事も請け負っている。2008年から10年間、店を始める直前まで勤めていた「日本レキシコ」という編集プロダクションとは、辞めてからも仕事のやりとりがある。
 
「日本レキシコは、辞書や事典、学習参考書などの編集プロダクションで、在職中は、小中高の国語関係の教材の編集、校正をやることが多かったです。フリーになってからは、一般書の仕事もやってます」
 
「日本レキシコ」では、教材の編集のほかにも、辞典の改訂も担当した。とても緻密な仕事だ。根気と正確さが必要とされるだろう。
 
「緻密……そうですね。時間をかけて、たくさんのものを整理していかなくてはならない仕事です。わたしが担当したのは、漢字辞典の第二版で、3年くらいかかりました。版元の担当者さんと、うちの会社が2〜3人、あとは組版所、印刷所と7〜8人でチームになって進めていきます。監修の先生がもちろんいらっしゃいますし、外部に原稿をお願いすることもありますが、進行管理や項目選定などは社内でこつこつと。あと版元の担当者さんがチェックを行う流れですね」
 
 イチから新たな辞典をつくるとなれば、人数も時間ももっとかかるが、改訂であればこのくらいの人数で進めていくこともあるという。
 
「何回も読むので、骨子がわかればそれほど膨大なことではないです。でも根詰めてやってると、明らかに区別すべきものが混同しているのを発見してしまうことはあります。そういうときは危ないから、よくよく確認しないといけません。まずそんなことは起こらないだろうという誤りのほうが、意外と気がつきにくく、こわいものです。
 わたしは漢字辞典が好きなんです。日本語を専門に学んだわけではないので、それほど知識があるわけではないんですが、同じ字種だけど字形が違うとか、異体字とか、そういうのがけっこう好き。漢字はもうすでにあるもので、部首の分類の仕方とかいろいろな説があるわけです。監修の先生によって特色はありますが、等しく必要な情報が載り、きれいに整列している。その秩序だったところが、ぐっときます」
 
 入社したきっかけは、たまたまそのとき求人していたからだった。だが仕事をやってみて感じたのは、改訂の仕事が好きということだ。
 
「編集者って、自分の企画した本を出すのが喜びという、そういう人が向いているんだと思っていたんですけど、わたしはそのタイプじゃない。埋もれてしまっていたものが、自分が仕事をすることによって、また役割を得て世の中に出る、というようなことがすごく好きなんですね。
 それって古本屋の仕事も同じだなと思ったんです。読まれていなかった本が、自分を通過して、また誰かのところへ行く、世の中に出ていく。これは自分の中で発見でした。なぜこれが好きなのか、なぜ古本屋を始めようと思ったのか、いつから好きだったのか……いろいろわからないのになんでやってるんだろうって考えたときに、これだ! って気づいたんですよね」
 
 お店の棚には、蓑田さんの蔵書と、お客さんから買い取りをした本が並んでいる。買い取りでは、それほどジャンルは選んでいない。
 
「店に並べる本は、あまり新しくないものを置いています。それほど厳密ではないですが、いま新刊書店さんで手に入りにくいものを優先してる。あとは、ここに来てくれる人が読んでくれそうなもの。最近は、社会学的な本とか、専門書でも一般の人が読んでもおもしろそうな本とか、そういうのがあるといいのかなと思っています。文学もあまり減りすぎないでほしいので、そのバランスを考えますね」
 
 蓑田さんのお話を聞いてから改めて棚を見ると、どこか蓑田さん自身の本棚のようにも見えてくる。いちばん上の棚に並ぶ埴谷雄高の存在感が大きく見えるからかもしれない。
 
「わたしはあまり歴史や自然科学が強くないんですが、自分では読んだことがないような本でも、おもしろそうだったら置きます。年齢性別を問わないような本を、わりと心がけているかもしれません。これを言うと身も蓋もない感じなんですけど、おしゃれ過ぎないようにっていうことは、けっこう意識してます。そもそも、そんな棚はつくれないですけど。古本におしゃれも何もないですが、ともすると見栄えがいい本も置きたくなっちゃう。でもそれは一部分でいいかなって」
 
 くわえて、自身が手に取ったときの感覚もだいじにしている。
 
「人に読まれたなっていう感じの本を置きたいですね。読まないまま売ったんじゃなくて、ちゃんとしっかり読まれた本。これはもう、感覚なんですけど。でも、どんなに積ん読だったとしても、30〜40年経って、今売ろうと思ったっていうことは何かしら思い入れがあって本棚に置いていたのかなと思う本もありますよね。それはそれで、その人に寄り添ってきたものではあるので」
 
 蓑田さんは、ひと息ついて、言葉を選びながら続ける。
 
「女性店主っぽくない棚をつくりたいのかもしれないです。そう言うと逆に意識してるみたいに思われるかもなんですが。そのほうが間口が広くなるように思うんですよね。20代の女の子がガーリーな本ばかり読むわけではないですが、その逆は、やはり興味がないと手に取らないんじゃないか。だから、誰が見ても1冊は手に取ってみたい本がある棚をつくりたいんです。
 自分自身は、店主さんの色が強い店に行くのが苦手なんです。雑多なもののほうが好みだし、コンセプトがあっても、その枠を越えたおもしろさはないじゃないですか。わたしが考えていることなんて、すごく狭い範疇なので、わたしが決めたらもったいないと思うんですよね。人に教えてもらったり、人それぞれの“おもしろい”が衝突する場を目指したいんです」
 
 コロナ禍で店を閉めていたころ、店がどんどんプライベートスペースのようになってしまって、気持ちがくさくさしてしまったという。店を開けて、お客さんが来て帰っていくと、新しい空気の流れが生まれる。その流れがないと、けっこうしんどいということに気づいた。
 蓑田さんがつくる酒の肴はどれも、一品一品がていねいにつくられていて、思わぬ素材の組み合わせが楽しい。それをさらに数品盛り合わせることで、隣り合う料理の味が混ざって、また別の世界が生まれる。それはどこか、本棚に似ている。
 本の改訂が古書店の仕事につながり、酒と肴につながり、それらを求めて人が集まってそれぞれの興味と思考が衝突する。すべてが無理なく成り立ち、支え合っている。

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第33回 古書店であり、酒と肴の店であり〜蓑田沙希さんの話(1)
第34回 ユニコーンと共に生きる〜蓑田沙希さんの話(2)
第35回 あやちゃんが札幌にいるから大丈夫〜蓑田沙希さんの話(3)
第36回 いまにつながる大学で学んだこと〜蓑田沙希さんの話(4)
第37回 子どもを産んで変わったことと変わらなかったこと〜蓑田沙希さんの話(5)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第37回 子どもを産んで変わったことと変わらなかったこと〜蓑田沙希さんの話(5)


 
  蓑田沙希さんは、2008年3月に大学を卒業した。27歳のときだ。法政大学文学部(二部)日本文学科へ二年時編入で入学し、5年間在籍したことになる。
 
「卒業して、ある編集プロダクションに入ったんですが、あまり合わなくてすぐ辞めて、次に日本レキシコという会社に入りました。辞書や事典の編集を手がけている編集プロダクションです。ここには店を始めるまで10年間勤めて、今でも編集者としてお世話になっています」
 
 働き始めた一方で、卒業の翌年には結婚する。相手は、大学時代に契約社員として働いていた先の5歳年上の男性だ。
 
「2010年は、常用漢字の改定があって辞書業界が忙しい年になる予定だったんですね。だからその前に結婚しちゃおうと思って」と蓑田さんは笑う。
 就職と結婚がほぼ同じ時期で、その事実だけ聞くと生活が激変したようにみえる。
 
「学生じゃなくなったというのは大きかったように思いますが、生活はそんなに変わりませんでした。飲み歩いたりしてましたし……。すぐ子どもが産まれたわけではなかったので、結婚してもそんなに変化はなかったです」
 
 結婚して5年後、長男が産まれる。
 
「20代のころは自分が子どもを産むことにぴんときていなくて、自分に似ていたら嫌だなって思っていました。でもいざ子どもが産まれたら、わたしとぜんぜん違う人間だから、似ていたらなんて取り越し苦労だった。そもそもわたしではない、と。異性だからというのもあるけど、自分の鏡でもないし、所有物でもないし、ひとりの人が新しく誕生したっていうことだから、どんな子になるんだろうっていう楽しみのほうが大きかったです」
 
 とはいえ、妊娠中にはいろいろと考えてしまったことも事実だ。妊娠出産の間、2年くらいはまったくお酒を口にしなかったから、それまでとはまったく違う生活になった。これからどんな変化が待ち受けているのか。
 
「当時、コクテイル書房の狩野さんと話していたときに、『大人のなかに子どもが参加するだけだから何も変わらない』って言われたんですね。狩野さんは、お子さんが小さいとき、前抱っこしながら店番していたりしていたんです。いまはお子さんも大きくなって、また違う気持ちになっていると思うんですが、あのときの言葉は、すごく気が楽になりました。お母さんらしくならなくてもいいんだって。そんなことそもそも無理なんですけど、母らしくあらねばならない、と思うことすらしなくていいんだって思ったんです」
 
 長男は今年、小学2年生になった。
 
「子どものことを守らなくては! っていうのは、ぜんぜんないです。守るというより、“生かす”みたいなのはあるかもしれません。産んですぐのときは、風呂で溺れるとか、抱っこしているときに転ぶとか、自分のさじ加減ひとつで子どもを殺してしまうかもしれないというプレッシャーがありましたけど、“わたしが守らなければ”は、当時もいまもない。わたしがそんなこと言わなくても、けっこうしっかりしてるなって感じるし、なんとかやっていけるだろうっていう信頼があります。
 世の中のニュースをみていると、人が誰も殺さず、誰にも殺されず、死ぬまで人生を全うすることは、けっこう難しくて、奇跡的なことのように思います。わたしも、子どもも、“絶対”はない。だからなるべく、運良くいてほしいというか、自分がやりたくないことをあまりやらないでいい人生であってほしいなとは思ったりします」
 
 蓑田さんの子どもに対する思いは、控えめのようでいて、切実だ。
 
「自分のことも、年齢を重ねてきて、元気でいられるかとか、あんまり飲みすぎるのはよくないとか、そういうことを昔よりは考えるようになってきましたね。なんか、しょうもないですけど」

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第33回 古書店であり、酒と肴の店であり〜蓑田沙希さんの話(1)
第34回 ユニコーンと共に生きる〜蓑田沙希さんの話(2)
第35回 あやちゃんが札幌にいるから大丈夫〜蓑田沙希さんの話(3)
第36回 いまにつながる大学で学んだこと〜蓑田沙希さんの話(4)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第36回 いまにつながる大学で学んだこと〜蓑田沙希さんの話(4)


 
 2003年、蓑田沙希さんは法政大学文学部(二部)日本文学科へ二年時編入で入学した。奨学金を満額借り受け、昼間は働いて、大学には夜に通った。
 
「大阪芸大のときは文芸学科だったので、自分が文学作品を書くことを教えられるんですね。ものを書く仕事に憧れはあったんですが、わたし自身が書くよりも既にあるものを読んで研究するほうがはるかに社会的な意義があると思うようになって。世の中にはこんなに素晴らしい作品があるんだから、それを研究しようと思ったんです」
 
 大学で文学を学ぶことは楽しかった。
 
「読者論についての授業で、雑な言い方ですが、文学作品は読者がいて読まれてはじめて作品となる、というのがあったんです。これはすごいなって。作者が書いた瞬間が作品の誕生じゃなくて、読まれることで初めてテキストが立ち上がるので、共有するための方法論みたいなものがある。その方法論を当てはめて、いろいろなものを読むのが楽しい時期だったんだと思います。
 試験の現代文も得意なほうなんです。そのわりには大学に落ちてますが、今も学習参考書の編集を仕事にしているくらいルールに則って読むというのは好きなんです」
 
 日本文学のゼミに入り、そこで埴谷雄高を知る。代表作『死霊』。戦後文学史上、重要な作品と言われるが、同時に難解な小説としても名高い。最後まで読み通すことの困難さでは、西の『失われた時を求めて』、東の『死霊』と並び称される。
 
「ゼミの先生も法政出身で、埴谷を研究されている方でした。いろいろな作品を扱うんですけど、そのなかに埴谷があって、なんだこれは!って。すっかりはまってしまって、卒論のテーマに選んだんです」
 
 マーブルの店内の棚、右上にはずらりと黒々しい装丁の埴谷雄高が並んでいる。
 
「政治や思想の評論文とか、たくさん文章を書いているし、すごく饒舌な人なのに、『死霊』はなんで小説じゃなきゃいけなかったのかっていうことに興味がありました。小説じゃないと表現できない何かがあったのではと思って読むと、おもしろいんです。ドストエフスキーの作品に多大な影響を受けていることもあり、影が薄いながらも主人公がいて、その兄弟、婚約者とか登場人物は多く、彼らの対話が続くんですね。よく形而上的と言われますけど、対話で進んでいく場面が多いので、入口としてはそんなに難しくないように感じたんです。でもちゃんと読もうとすると、もちろんたいへんなんですが。
 9章まで書かれたところで、一応は未完の形となっているので作品としては終わっていないんですけど、それぞれの章は独立して読めますし、終わらなくてもいいような感じもあり。これだけの長編なので、最初からゴールがあったわけではない、そこに長考するおもしろさもあるんです」
 
 蓑田さんは、ユニコーンを語るときとはまた違った明瞭さで、言葉ひとつひとつに力を込めて『死霊』を語る。方法論に則って読み、研究したことが伝わってくる。
 
「戦後文学が格好いいって思ったんです。当時は憧れもありました。時代が変わるときに、あれこれ考えることって、おもしろいですよね。どうしたらいいのかわからないから考え続けて、そこからいろいろなものが生まれたり、書く内容が変わってきたりするのが、すごくおもしろい。
 最近、これは今の時代にちょっと似てるなと思います。コロナもそうですけど、生活の仕方とか豊かさの質が変わってきたときに、自分の考えをどうしていくのかを物語を通じて書くっていうのは、共通するところがあるなって」
 
 大学ではもうひとつ、印象深い授業があった。近世文学のなかで学んだ「連句」だ。五七五と七七を交互に連ねていく文芸のことで、連ねていくことで別の風景が立ち上がってくる。
 
「基本的なルールとして、ひとつ前の句に対して自分の句をつけるけど、ふたつ前の句には戻らないというものがあります。すると、間の句をはさんで、前と後ろでまったく違う意味合いのものを共有することになる。自分で考えたものは、自分の思惑があるんですけど、それが人とつなげることで違う意味になる。意味が増殖していくんです。そのときのメンバーとか座の雰囲気によって、どんどん変わっていくのが、ジャズのセッションみたいなんですね」
 
 連句には序破急の流れがあり、第一句を発句、次が脇句、あとは第三句……と続いていく。最後の七七の句は「挙句」といい、「挙句の果て」はこれが由来だ。「月」や「花」を詠む定座はあるものの、基本的なルール以外は、その「座」ごとに自由度は高い。
 
「わたし、ムーンライダーズが好きなんですが」蓑田さんは話を続ける。「ちょっと話が飛躍しますけど」と笑いながら。
 
「ムーンライダーズの音楽と歌詞の関係って、意味や感傷にはまりすぎないところとか、何かがランダムにあることで元々の意味と変わってくるところとかが、連句にちょっと近いような気がするんです。固有名詞単体だと、その意味しかないけど、前後に別の言葉があることで、その意味をがらっと崩してくれるみたいなところが」
 
 蓑田さんにとって大学で学んだことは、直接的にも間接的にも、現在の生活につながっているようにみえる。学問は人が生きる力になるのだ。
 

( 毎月第4水曜更新 )

過去の連載を読む

第1回 はじめに
第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)
第3回 いくつかの転機~日野剛広さんの話(2)
第4回 「良い本屋」ってなんだろう~日野剛広さんの話(3)
第5回 はじめての本屋さん
第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)
第7回 時代が変わる、売り方も変わる〜海東正晴さんの話(2)
第8回 本とレコードに囲まれて〜海東正晴さんの話(3)
第9回 本屋さんの最終型とは〜海東正晴さんの話(4)
第10回 つくば科学万博のころ〜徳永直良さんの話(1)
第11回 四国で暮らしていたころ〜徳永直良さんの話(2)
題12回 つくばの本屋さんで、できること〜徳永直良さんの話(3)
第13回 書店員ののちに始めた新しい仕事について〜徳永直良さんの話(4)
第14回 落ち穂拾いの日々〜徳永直良さんの話(5)
第15回 書店員として働きはじめたころ〜下田裕之さんの話(1
第16回 早春書店を立ち上げるまで〜下田裕之さんの話(2)
第17回 80年代のことしか考えていなかった〜下田裕之さんの話(3)
第18回 下田さん、サブカルってなんですか?〜下田裕之さんの話(4)
第19回 インフラとしての本屋を成立させるために〜下田裕之さんの話(5)
第20回 新刊と古書を置く店をつくる〜小国貴司さんの話(1)
第21回 札幌、八戸、立川に暮らしたころ〜小国貴司さんの話(2)
第22回 演劇と古本屋巡りの日々〜小国貴司さんの話(3)
第23回 新刊書店から古本屋へ〜小国貴司さんの話(4)
第24回 帳場のなかのジレンマ〜小国貴司さんの話(5)
第25回 宮子書店のこと〜本屋さんをめぐる体験(1)
第26回 本棚を眺める日々〜本屋さんをめぐる体験(2)
第27回 わかろうとしない読書を知る〜本屋さんをめぐる体験(3)
第28回 休業要請を受け入れた日々〜伊藤幸太さんの話(1)
第29回 「辺境」を表現する〜伊藤幸太さんの話(2)
第30回 10〜20代のころの体験〜伊藤幸太さんの話(3)
第31回 本を売る仕事に就くまで〜伊藤幸太さんの話(4)
第32回 場をつくるということ〜伊藤幸太さんの話(5)
第33回 古書店であり、酒と肴の店であり〜蓑田沙希さんの話(1)
第34回 ユニコーンと共に生きる〜蓑田沙希さんの話(2)
第35回 あやちゃんが札幌にいるから大丈夫〜蓑田沙希さんの話(2)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第35回 あやちゃんが札幌にいるから大丈夫〜蓑田沙希さんの話(3)


 
 蓑田沙希さんは、小学校から高校まで札幌で暮らした。
 自宅から自転車で行ける距離のところに「らくだや」という古書店があった。中学生になると、ユニコーンを教えてくれた、あやちゃんと一緒に店に行くようになる。通学する学校は別々になったが、関係は変わらなかった。
 
「店はいまもあるんですが、ここがめちゃくちゃいい店で。古本屋さんの初期体験がここでした。それはもう楽しかったですね。たぶん買取だけでやっていて、ひととおりのものが揃っているんです。いまでも札幌に帰って近くに行くことがあれば、立ち寄っています」
 
「古本らくだや」のHPによれば、1992年開店とある。今年で創業30年だ。天井までの本棚にみっちり整然と本が詰まっている。値付けは、文庫は50円〜定価まで、単行本は50円〜500円までとあり、ほぼ均一価格といっていい。写真だけ見ても、本を大事に扱っている心躍る空間であることが伝わってくる。
 
「古本屋さんの初期体験が良かったので、その後もちょっと怖そうなお店でも入ってみたらおもしろいものがあるかもしれないって思えるんですよね。だから古本好きがずっと持続できたんだと思います」
 
 高校生になると、もう一軒、興味を引く店ができた。
 
「『らくだや』さんの近くに、『プラスチコ』というフリースペースのようなところがありました。靴を脱いで入ると本があって、誰でも来てよくて、人が集まってわいわいしてる。高校生でも入っていいところだったので、こんなことができるんだって思いました。いまでいう住み開きのような、さまざまな人たちが出入りできるところって楽しそうだなって思ったんです」
 
 蓑田さんは当時、具体的に店をやりたいとは思っていなかったが、身近にあった古書店やフリースペースを見て、人が集まるスペースがあったら楽しいかもしれないと、ほのかに思っていた。
 一方で、あやちゃんとフリーペーパーをつくり、雑貨店に置いてもらったりしていた。
 
「内容は、レビューとまではいかないですが、本を読んでどうだったとか、ライブに行ってどの曲がよかったとか、そういうようなことを書いていました。ありがちな話ですが、当時は音楽ライターになりたくて。ものを書く仕事がしたいと思っていました」
 
 高校時代を思い出しながら、「なんかすごく楽しかったですね」と話す。だが高校を卒業した先のことを考える時期でもあった。1999年のことだ。
 
「札幌と東京を意識し始めるんです。“札幌に残るか、東京に行くか”問題。家族的にも、まわりの友人たちも直面しました。芝居を始めた友人がいて、役者をやってる人は、東京に行く=魂を売ったみたいな、札幌で何かをやることに重点を置いている人が多かった。時期的にも、大泉洋さんたちのTEAM NACS(演劇・音楽ユニット)や、タカアンドトシ(当時はタカ&トシ)が札幌吉本初の芸人として盛り上がっていたりして、札幌でもできるんだっていう流れがあったんですね。もっと前からそういう流れがあったかもしれないんですが、高校生でも感じとるくらいまでになった。札幌でも何かおもしろいことができるかもしれない、でも東京に行ったほうがいいのか、ということを考える時期でした」
 
 今でこそ二拠点で活動するのは珍しくなく、インターネット配信などを活用することで、地域差も小さくなってきている。だが2000年前後は、まだそうした柔軟性が行き渡っていなかっただろう。だからこそ、「札幌に残る」ことも選択肢のひとつとして大きな意味があった。
 蓑田さんは考えた末に、札幌を出ることを選ぶ。
 
「やっぱり高校卒業のタイミングで家を出たいというのはありました。もっとインプットするものがないと自分の限界が見えてしまうというか、刺激を求めていたんだと思います。あとは、あやちゃんが札幌にいるんだったら、わたしはいなくてもいいかもなと思いました」
 
 話の随所に登場する、あやちゃんは、いまも札幌に住んでいて、天然石でアクセサリーをつくる仕事をしている。「あやちゃんが札幌にいるから大丈夫」という心情は、現在でも蓑田さんの奥底にあって自身を支えているように感じる。あやちゃんが札幌に残るから自分も残る、ではなく、それぞれの持ち場で暮らしていく。家族とは違う、大事なよりどころで、生涯にわたって途切れることがないつながりなのだ。
 
 2001年、蓑田さんは一浪して大阪芸術大学文芸学科に入学する。

「現役でも一浪でも早稲田に落ちて……当時、大阪芸大に通っていた友人がいて話を聞くと、おもしろそうだなと思ったんですね。ここだったら学ぶこともあるなと感じて、札幌から東京を飛ばして大阪に住み始めました。大学自体は楽しかったんですけど、学費が払えなくなって除籍になったんです」

 大学1年生の末時点で除籍になり、1年分の単位は持っていたので、編入の道を模索した。結果、2003年に法政大学文学部(二部)日本文学科に、二年時編入で入学した。22歳のときだ。

( 毎月第4水曜更新 )

過去の連載を読む

第1回 はじめに
第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)
第3回 いくつかの転機~日野剛広さんの話(2)
第4回 「良い本屋」ってなんだろう~日野剛広さんの話(3)
第5回 はじめての本屋さん
第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)
第7回 時代が変わる、売り方も変わる〜海東正晴さんの話(2)
第8回 本とレコードに囲まれて〜海東正晴さんの話(3)
第9回 本屋さんの最終型とは〜海東正晴さんの話(4)
第10回 つくば科学万博のころ〜徳永直良さんの話(1)
第11回 四国で暮らしていたころ〜徳永直良さんの話(2)
題12回 つくばの本屋さんで、できること〜徳永直良さんの話(3)
第13回 書店員ののちに始めた新しい仕事について〜徳永直良さんの話(4)
第14回 落ち穂拾いの日々〜徳永直良さんの話(5)
第15回 書店員として働きはじめたころ〜下田裕之さんの話(1
第16回 早春書店を立ち上げるまで〜下田裕之さんの話(2)
第17回 80年代のことしか考えていなかった〜下田裕之さんの話(3)
第18回 下田さん、サブカルってなんですか?〜下田裕之さんの話(4)
第19回 インフラとしての本屋を成立させるために〜下田裕之さんの話(5)
第20回 新刊と古書を置く店をつくる〜小国貴司さんの話(1)
第21回 札幌、八戸、立川に暮らしたころ〜小国貴司さんの話(2)
第22回 演劇と古本屋巡りの日々〜小国貴司さんの話(3)
第23回 新刊書店から古本屋へ〜小国貴司さんの話(4)
第24回 帳場のなかのジレンマ〜小国貴司さんの話(5)
第25回 宮子書店のこと〜本屋さんをめぐる体験(1)
第26回 本棚を眺める日々〜本屋さんをめぐる体験(2)
第27回 わかろうとしない読書を知る〜本屋さんをめぐる体験(3)
第28回 休業要請を受け入れた日々〜伊藤幸太さんの話(1)
第29回 「辺境」を表現する〜伊藤幸太さんの話(2)
第30回 10〜20代のころの体験〜伊藤幸太さんの話(3)
第31回 本を売る仕事に就くまで〜伊藤幸太さんの話(4)
第32回 場をつくるということ〜伊藤幸太さんの話(5)
第33回 古書店であり、酒と肴の店であり〜蓑田沙希さんの話(1)
第34回 ユニコーンと共に生きる〜蓑田沙希さんの話(2)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

ユニコーンと共に生きる〜蓑田沙希さんの話(2)


 
『古本と肴 マーブル』の店主、蓑田沙希さんは、1981年北海道滝川市に生まれた。5歳まで暮らし、小学校に入るときに札幌市に引っ越してくる。
 小学校時代は、公文をはじめ、英会話や塾にも通い、勉強することが当たり前と感じていたという。「当時は頭が良かったんです」と笑って話す。
 
「本もよく読みました。何千冊も本があるような家ではなかったんですが、わたしにはたくさん買ってくれました。母が教育熱心で、なぜか小学校に入るくらいの頃に島崎藤村の『初恋』を暗唱させられたんですよ。
 
 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり……」
 
 蓑田さんはすらすらと早口で読み上げていく。
 
「なぜ『初恋』だったのかはわからないんですけど、意味もよくわからないのに七五調のリズムでとりあえず覚えてしまうんですね。でも当時、積極的に読んでいたのは漫画でした。低学年のときに『シティハンター』を読んでいたら、まだ早いと母に隠された覚えがあります。わたしには手が届かないタンスの上とかに置かれて。そもそもどうやって手に入れたのか覚えてないんですが。漫画禁止というわけではなくて、通っていた英会話教室のビルにあった本屋さんで、吉田戦車の『伝染るんです。』を買ってもらったりもしました。子どもながらに、これは買ってもらえない本なのでは……と恐る恐る言ったんですけど、一応買ってくれました」
 
 小学校のとき、家が近所で同じ学校に通っていた、あやちゃんと友達になった。蓑田さんにとって現在に至るまで、彼女の存在はとてつもなく大きい。小学5年生のとき、ユニコーンを教えてくれたのは、あやちゃんだ。
 
「ユニコーンは自分にとって、なんか、すごい新しいものだったんですね。世の中をなめてるわけじゃないけど、ちょっと俯瞰で見ている感じで、ユーモアもある。解散したころの民生ってけっこう髪が長かったりして、小学生にはどきどきしづらい風貌だったけど、『雪が降る街』のPVは、いくえみ綾の漫画に出てくる人みたいで、なんてかっこいいんだ!って思って、ほんと好きでした。『PATi PATi』とか『B-PASS』とかアイドル音楽雑誌を買い漁って、その切り抜きをスクラップしてました」
  
 蓑田さんは、力強くユニコーンを、奥田民生を語る。ときに声を震わせ、陶然としながら。思わず聞き入る。
 1987年にデビューしたユニコーンは、1993年9月、蓑田さんが小学6年生のときに解散する。
 
「この世の終わりだと思いました。明日からどうしていけばいいんだろうって。当時は子どもで大人の事情とかわからないので途方に暮れたんですけど、翌年に民生がソロ活動を始めて『愛のために』が出て、わあああって……中学1年のときに自分でチケットをとって北海道厚生年金会館のソロ初ライブに行きました。けっこう後ろの席でしたけど、それでもそこに行ったっていうことが、かなり大きいというか」
 
 バンド解散後、メンバーは各々ソロ活動をしていたが、2009年に再結成、現在に至る。
 
「ずっと好きですね。自分のアイデンティティのなかで欠かせない存在なので、これからも好きじゃなくなるっていうことは、たぶんないと思います。再結成してからは、民生がアベ(阿部義晴・現ABEDON)の曲を歌うっていうのがやっぱり、それはぐっとくるものがある。人の曲を歌う奥田民生っていいじゃないですか。自作のはもちろんいいんですけど、そうじゃないのも見たい。なにより、みんなで楽しそうにしてるのがいいなって」
 
 再結成してからはとくに、5人のメンバーが担当を固定せず、縦横無尽に作詞・作曲・ボーカルをつとめている。再結成後初のシングル『WAO!』は、作詞・作曲・メインボーカルを阿部義晴がつとめ、奥田民生はカウベルを打ち鳴らし、5人が心の底から楽しんでいるPVが印象的だ。バンドが再始動した歓喜と高揚が伝わってくる。
 
「ユニコーンファンになっていなかったら、たぶんぜんぜん違う人生を歩んでいたと思う」と蓑田さんは話す。
 
「性格も違ったと思うんです。小中学生のわりと多感な時期にユニコーンを好きになったことで、けっこうしんどいことがあったとしても、それを俯瞰で見る術を知ったというか。あまり感傷的にならないで飄々としているほうがかっこいいとか、ユーモアを忘れずに、しんどかったとしても見方によってはおもしろいんじゃないかとか、そういうことを考えるようになりました」
 
 その後、奥田民生から派生してムーンライダーズ、カーネーションといったバンドを知り、ファンになっていく。蓑田さんにとって、ユニコーンは「好きな音楽」というだけでなく、自分の人格形成に深く関わっている存在なのだ。
 
「わたしはいま40歳なんですが、ふとしたときに、民生は40歳のとき何やってたんだろうって考えるんです。このときと同じ年か、この歌を歌ってたときかって確認する。そういうくらいには好きな存在です」

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過去の連載を読む

第1回 はじめに
第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)
第3回 いくつかの転機~日野剛広さんの話(2)
第4回 「良い本屋」ってなんだろう~日野剛広さんの話(3)
第5回 はじめての本屋さん
第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)
第7回 時代が変わる、売り方も変わる〜海東正晴さんの話(2)
第8回 本とレコードに囲まれて〜海東正晴さんの話(3)
第9回 本屋さんの最終型とは〜海東正晴さんの話(4)
第10回 つくば科学万博のころ〜徳永直良さんの話(1)
第11回 四国で暮らしていたころ〜徳永直良さんの話(2)
題12回 つくばの本屋さんで、できること〜徳永直良さんの話(3)
第13回 書店員ののちに始めた新しい仕事について〜徳永直良さんの話(4)
第14回 落ち穂拾いの日々〜徳永直良さんの話(5)
第15回 書店員として働きはじめたころ〜下田裕之さんの話(1
第16回 早春書店を立ち上げるまで〜下田裕之さんの話(2)
第17回 80年代のことしか考えていなかった〜下田裕之さんの話(3)
第18回 下田さん、サブカルってなんですか?〜下田裕之さんの話(4)
第19回 インフラとしての本屋を成立させるために〜下田裕之さんの話(5)
第20回 新刊と古書を置く店をつくる〜小国貴司さんの話(1)
第21回 札幌、八戸、立川に暮らしたころ〜小国貴司さんの話(2)
第22回 演劇と古本屋巡りの日々〜小国貴司さんの話(3)
第23回 新刊書店から古本屋へ〜小国貴司さんの話(4)
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第25回 宮子書店のこと〜本屋さんをめぐる体験(1)
第26回 本棚を眺める日々〜本屋さんをめぐる体験(2)
第27回 わかろうとしない読書を知る〜本屋さんをめぐる体験(3)
第28回 休業要請を受け入れた日々〜伊藤幸太さんの話(1)
第29回 「辺境」を表現する〜伊藤幸太さんの話(2)
第30回 10〜20代のころの体験〜伊藤幸太さんの話(3)
第31回 本を売る仕事に就くまで〜伊藤幸太さんの話(4)
第32回 場をつくるということ〜伊藤幸太さんの話(5)
第33回 古書店であり、酒と肴の店であり〜蓑田沙希さんの話(1)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第33回 古書店であり、酒と肴の店であり〜蓑田沙希さんの話(1)


 
 東京の東側、地下鉄東西線の東陽町駅から歩いて5分ほどのところに、『古本と肴 マーブル』がある。思いっきり伸びをしてお腹を見せた猫の絵が目印で、「古本買入 一冊からお持ちください」「瓶ビール(サッポロ赤星)冷えてます!!」という手書き文字が猫のまわりに書かれている。周辺には学校や区役所、スーパーや飲食店が点在し、にぎやかではあるが生活のにおいがする住みやすそうな街だ。
 店主の蓑田沙希さんは、2018年5月19日に、この店を開いた。もともとあった一軒家をリノベーションして、1階は店舗、2・3階を住居としている。2021年12月、取材にうかがうと、蓑田さんは2階から7歳になる息子さんを呼んで紹介してくれた。古書店と立ち飲み処と自宅、それぞれが無理なく成り立ち、支え合っている場である。
 
 店内は細長い空間で、壁沿いに作り付けの大きな本棚があり、奥には小さなカウンターがあって酒と肴が楽しめる。酒はビールと日本酒、甘くないレモンハイなど、肴は簔田さんの手作りで、盛り合わせが人気だ。肴は日替わりで7〜8種類あり、開店日には黒板に書いたメニューを店のTwitterにあげている。このメニューがたいそう魅力的で、個人的には、古本屋さんというよりは酒飲み処として行ってみたい、というのが当初の正直な思いだった。
 えんがわとネギのコチュジャン和え、カキと舞茸のオイル漬け、ホタテと赤カブのマリネ、ゴボウ赤ワイン煮、牛すね大根……Twitterの投稿を見かけるたびにメニュー名を小さく音読し、これ絶対美味しいやつ、絶対盛り合わせにすべき、と思いを強くする。そして実際、ものすごく美味しかった。盛り合わせてある料理の色味のバランス、味と歯ごたえのバリエーション、日本酒との相性、すべてが完璧だった。この料理をつくる人は、酒飲みにちがいないとも思った。
 酒と肴に陶酔して、初回の訪問ではろくに棚も見ずに帰ってきてしまったが、この店の成り立ちと蓑田さん自身について、話を聞いてみたいと思った。これまでのシリーズとはまた違った「生活」があるように感じたからだ。
 
 古本屋でもあり、酒と肴も楽しむという店の形は、蓑田さんのなかでずっと思い描いていたことだった。
 
「高円寺に『コクテイル書房』という店があって、20代前半のころから16〜7年ほど通っています。自分で店をやることを考え始める前からコクテイルを見ていたので、今のこの形は新しくもなく、めずらしくもなく、あたり前のものだったんですね。だから、本か料理か、どちらかだけっていうのは、ぜんぜん考えていませんでした」
 
『コクテイル書房』は、古書店でありながら、小説などに出てくる料理をアレンジした「文士料理」や、文学作品から着想を得たメニューを出す酒場でもある。蓑田さんにとっては身近な先輩だったといえる。
 一方で、「古書錆猫」の屋号で一箱古本市などに参加していた。
 
「雑司が谷で開かれる『みちくさ市』には、何度も出店していました。最初に、客として岡崎武志さんのブースで本を買ったときに、“買うよりも売るほうが楽しいよ”って言われて、次のときには自分の蔵書を並べて出店してみたんです。そうしたら、すごい売れたんですよ。素人だからたかがしれてるんですが、みんなちゃんと買ってくれるんだと思って。それで味をしめてしまったんですね」
 
 この体験から、自分で店をやることがリアルになってきたという。古本を売ることが楽しくなってきたし、店舗にするのであれば、ちゃんと古物商の許可申請をして買取ができるようにしたほうが、おもしろそうだと思った。
 今では、近所の人を中心に買取依頼も少なくない。
 
「コロナ禍で店を閉めていたときも、ほんとに対面できなかった時期以外、買取だけはやっていました。近所の人たちが、ピンポンを押して本を持って来てくれたりして。この場所で店を開いてみて、古本屋として買ってもらうだけじゃなくて、売ってもらうことも大きいなと思っています。近所の人にとって本を売る場所があるって思ってもらえたら、それはひとつの役割なのかなと」
 
 現在は、週4日、夕方から夜にかけてオープンという営業形態だが、開店当初は昼から夜まで通しで開けていた日もあった。
 
「最初の半年くらいは、週2日、昼から開けていました。子どもたちとか、夜には来ないお客さんが来てくれるので魅力的だったんですが、体力的につらいっていうのと、フリーで受けている編集・校正の仕事が忙しくなってきたこともあって、いまはほぼ夜のみの営業にしています。これからまた変わるかもしれないですが」
 
 お店にやって来るお客さんは、日によってさまざまだ。性別や年齢もばらばらで、近所に住んでいるとも限らない。会話が盛り上がるときもあれば、ときには静かに本を読んでいることもある。
 
「店を始める前は、自分に近いタイプのお客さんしか想像ができなかったんです。たとえば、わりと若めの人が静かに本を読んでいて、こちらからなんか話しかけたほうがいいのかなって思いながらも、そのまま帰っていく…みたいな。でも、ふたを開けてみたらまったく違っていて、わたしが話さなくても、お客さんだけで話が回ってる。当初は、背もたれのある大きめの椅子を置いていたんですが、すぐに捨てました。いまはほぼ立ち飲みです」
 
 開店して3カ月くらいで、カウンターのスタイルが定まった。
 
「入口のドアも、ある程度開けっぱなしにしておくと、いろいろな人がただ覗いていく。飲み屋だと注文しなきゃいけないと思って入ってくるけど、本屋だからただ本を見て帰ってもいい。それが心地よいなと思っています。みんなそれぞれやりたいことをやればよいので、本だけの人もいるし、飲むだけの人もいる。それは、お客さんの力というか、わたしだけの判断で決まったのではない方向性だったと思います」
 
 店は、大通りからすこし入った細道に面している。
 
「路地の延長みたいな感じで入ってきて、何もしないで帰ってくれてもいいんです」

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第1回 はじめに
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第22回 演劇と古本屋巡りの日々〜小国貴司さんの話(3)
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第30回 10〜20代のころの体験〜伊藤幸太さんの話(3)
第31回 本を売る仕事に就くまで〜伊藤幸太さんの話(4)
第32回 場をつくるということ〜伊藤幸太さんの話(5)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第32回 場をつくるということ 〜伊藤幸太さんの話(5)


 
 2011年の東日本大震災をきっかけに本屋をやりたいと思った伊藤幸太さんは、2015年9月、西荻窪に忘日舎を開く。42歳だった。
 開店してすぐのころに取材したとき、「生活の立ち寄り場所としての本屋さんをやりたい」と伊藤さんは話していた。
 
「当時は場が必要だって感じていましたし、だからそう話したのだと思います。ただ実際に開いてみて、それはわたしが言うべきことじゃなかったかもしれないと反省的に思うんです。おこがましいというか。
 店を開けていると、わたしに会いに来たという人もいるし、開いていてくれてありがたいと言われることもある。誰の心にも、場を必要としている気持ちみたいなところがあって、そのひとつとしての機能は果たしているんだと感じます。場を開いたことで、作家さんが来てくれたり、誰かと誰かをつなぐことができたり、とりあえず5年やってみて目指していたことのひとつは達成できたかなとは思います」
 
 場をつくったのは他ならぬ伊藤さん自身で、手応えも感じている。だがそれはすべて、本のおかげだ。これは発見だった、と伊藤さんは言う。
 
「本の存在、そのものの力です。わたしが自分の関心がある本を仕入れて、並べていくと、店が生成していく感じがするんですよね。生きものみたいに」
 
 しばし、伊藤さんの言葉を反芻する。店が生成していく……それはどこか、自分が薄まっていく感じだろうか。
 
「そうそう、どんどん自我がなくなっていく感じですね。それがすごく心地よくて、逆にストレートに自分が出せるようになる気がします。できれば存在を消して、この場所だけが残る、そんなことを考えたりします」
 
 書店で本を選んでいるとき、自我の境界が薄まっていく感覚に襲われることがある。棚に並ぶ本が互いに手を取り合って、小声で、でも聞き流せない圧力で主張してくる。店主がなんらかの意図で配置した並びをたどりながら、本の渦に積極的に巻き込まれていくと、次第に自分の足下があやふやになってくる。本棚という生きものに、自分が吸い込まれていくような感覚。その本棚をつくっている店主までもが、似たような感覚をもっていたとは。落語の『蛇含草』のように、人間を“溶かす”何かが、本には備わっているのかもしれない。
 
 忘日舎という場を開き続けながらも、伊藤さんは、自分の店をあまり意味づけしたくないという。
 
「店をやり続けていくと、自分の店はお客さんや、作家さんや、いろいろな人の関わりの中でできているということがわかってくるんですね。書店にはそれぞれのカラーがあるわけですけど、店主ひとりで成り立っているわけではない。店主の個性も出ているかもしれないですが、店に来てくれる人と一緒につくる、というのが今はとてもしっくりきています。
 店は“本がある場所”なんですが、挑戦していかないと広がらないとも思っています。知らないジャンルを書店側が学んでいかないと変わらない。だからハンセン病文学の読書会などは、自分にとってものすごく勉強になりました」
 
 本を買いにくる人、店主と話しにくる人、読書会に参加する人など、本屋さんという場にはさまざまな目的で、それぞれの思いを抱いて人が集まってくる。いっぽうで店主は、本を売る、という一見シンプルなことを日々考え、試行錯誤を続けていく。中心にある「本」そのものの吸引力の大きさを改めて実感する。本しか売っていない場所に、多種多様な人たちが集まってくる。
 
「いつも、なんでこんなことやってるのかなって思いますよ。ひとりで。お金にもならないし。経営もがんばらないといけないですね。……疲れきってますけど。
 でもやっていくうちに、必要としてくれている人が、ぽつぽついらっしゃるんです。昨日の最初のお客さんは、開口一番、ご自身のアイデンティティについて、すらっとおっしゃるんですね。かつて海外にいたときの、人種や国籍、性別など関係なく、ふつうに人びとが交差するような感覚を思い出しました。そんなときはとくに、店やっててよかったなって思います」
 

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第11回 四国で暮らしていたころ〜徳永直良さんの話(2)
題12回 つくばの本屋さんで、できること〜徳永直良さんの話(3)
第13回 書店員ののちに始めた新しい仕事について〜徳永直良さんの話(4)
第14回 落ち穂拾いの日々〜徳永直良さんの話(5)
第15回 書店員として働きはじめたころ〜下田裕之さんの話(1
第16回 早春書店を立ち上げるまで〜下田裕之さんの話(2)
第17回 80年代のことしか考えていなかった〜下田裕之さんの話(3)
第18回 下田さん、サブカルってなんですか?〜下田裕之さんの話(4)
第19回 インフラとしての本屋を成立させるために〜下田裕之さんの話(5)
第20回 新刊と古書を置く店をつくる〜小国貴司さんの話(1)
第21回 札幌、八戸、立川に暮らしたころ〜小国貴司さんの話(2)
第22回 演劇と古本屋巡りの日々〜小国貴司さんの話(3)
第23回 新刊書店から古本屋へ〜小国貴司さんの話(4)
第24回 帳場のなかのジレンマ〜小国貴司さんの話(5)
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第29回 「辺境」を表現する〜伊藤幸太さんの話(2)
第30回 10〜20代のころの体験〜伊藤幸太さんの話(3)
第31回 本を売る仕事に就くまで〜伊藤幸太さんの話(4)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第31回 本を売る仕事に就くまで 〜伊藤幸太さんの話(4)


 
 1990年代前半、伊藤幸太さんは大学へ進学する。学部は法律学科だった。
 
「当時は何も考えていなかったので、どの学部でもよかったんです。ただ、土屋恵一郎という法学者のゼミ生だったんですが、これはおもしろかった。法哲学がテーマで、自分たちの社会を構成している法律をいろいろな角度から考える学問で、法とは何かを根源的に考えるんですね。ほかの学科の成績は悪かったんですが、そのゼミだけはちゃんと出席したし、成績も良かったです。フランスの結婚制度についての論文を書いたりしました」
 
 大学時代は、ひとりの時間が増えて本を読むようになった。まずはまったのは、村上龍。
 
「読みやすいですし、当時はやはりスーパースターみたいな位置づけでした。作家としていちばん多く読んだのは、いまだに村上龍かもしれないです。そののちに、カフカ、フランス文学といった、いわゆるクラシックな小説を読むようになりました。
 土屋ゼミでは哲学に関心がある学生が集まってくるんですけど、読んでいる本の話になって、村上龍を読んでるって言うと、ふーんって顔をされちゃうわけです。こちらも相手に『わたしはフーコーを読んでます』って言われてもね、はあ……って。当時は現代思想なんてぜんぜんわからなかったので」
 
 大学を卒業すると、公共事業を取材する業界紙をつくる会社に就職した。社会の仕組みを垣間見ることができて勉強にはなったが、仕事にはなんの魅力も感じられなかった。
 
「お世話になっています、という言葉をほんとうに言いたくなかった。たぶん、働くこと自体が嫌だったんですね。社会の仕組みを何もわかっていなかったし、ちゃんと働いているみんなに比べて自分はこんなにダメなんだ、不適格なんだって思いながら毎日会社に通っていたので、つらかったです。大学時代は居酒屋、コンビニ、編集プロダクションなどいろいろなアルバイトをしましたが、そのときより賃金は低かったから、さらに暗黒の気持ちです。働くって、こんなにおもしろくないことなのかって」
 
 暗黒の日々を3年ほど過ごし、2002年に渡米、ニューヨークのコミュニティカレッジに通った。05年に帰国すると、もっと勉強したいという気持ちから大学院を受ける。
 
「調子にのって、よりによって某国立大学の大学院を受けたんです。試験は、英語とフランス語と論文、そのあとに面接。準備期間は半年で、当時はすごく集中して勉強できたんですが、まあむちゃくちゃですよね。一次試験は通ったんですが、面接がいけなかった。大学院で研究したいという明確なものを提示できなかったんです。どこかに働きたくないから大学院に行くという“逃げ”がありました。もうひとつ、まわりがみんな働いているのに、30歳を過ぎて大学院で勉強するということの、ある種の圧に耐えられるのかという迷いもあった。落ちてほっとした……というのもありました」
 
 伊藤さんは二度目の就職をするが、労働に対して前向きになることはなく、労働について考えることも嫌気が差し、生きることは我慢することとあきらめた。一方で、小説を書いて応募するなど、読んだり書いたりすることの切実さが増してきた時期でもあったという。
 だが2011年、東日本大震災がおきて、伊藤さんの意識は一変する。目標をしっかり立ててやってみることが、人生に一回くらいあってもいいのではないか。
 
「当日、7階のビルにいたんです。ものすごく揺れて、コピー機がぐわーって動いていく。死ぬって思ったし、のちに原子力発電所が爆発したときは戦慄しましたよね。
 これからどうすればいいのかを考えていくうちに、本屋やりたいなって思ったんです。
 もしかしたら、本屋をやりたいって思ったのは、このときがはじめてかもしれない。昔からずっと思っていたことではないです。本や言葉に関わる仕事がしたい、自分が関心をもっているところと近いところで仕事をしたいって思ったんです」
 
 ちょうどそのころ一箱古本市の存在を知り、すぐに参加したいと思った。
 
「自分の本をどうにかしたいというのもありましたが、いざ参加してみたら開放感が心地良くて、本の可能性みたいなものをあらためて感じました。本で何かができるっていうきっかけをくれたと思います。もっといえば、自分で構えてしまいさえすれば、なんでもできるんじゃないかって思ったんですよね」
 
 震災後、伊藤さんは当時働いていた会社のほかに、新刊書店でアルバイトをはじめる。自分の店をやることを前提として、「本を売る」ことの実務を初めて経験することになった。
 
「1年半くらいやってみて、ほんとうに嫌だったのは返品です。6〜7時間働くとして、そのうちの2時間は段ボールに本を戻している。自分の店に置く新刊は、自分が売りたいものだけ売ろうと思いました。いま新刊は、買い切りと委託が半分ずつくらいですが、返品はこの5年で5回くらいです。これでも多いくらい。売り切りたいです」
 
 忘日舎は古書店ではあるが新刊も置いていて、開店時に比べると、その数は増えてきている。自社の本を店に置いてほしいといってくる小さい版元も多いという。店内中央の平台には、他の店ではあまり見かけないような本が面陳されていたりする。
 伊藤さんは、これまでの自分の経歴が、本や本屋と深くリンクしていないことに引け目を感じている面があるという。
 
「ずっと書店員を続けているのではなく、職業を変えているのは大きいです。でもこの引け目とは何かということを、ほんとうは考えたほうがいいとは思っているんです。引け目に感じなくてもいいかもしれないものに対して、ある種の暗さみたいなものを抱えている」
  
 第29回で、わたしは忘日舎の本の並びが「伊藤さんの意志で、選んで置かれているように見える」と書いた。それは自身の出自や、これまでの体験、逡巡、挫折の末に選ばれた本だ。抱えている引け目すらも、本の並びにあらわれているかもしれない。売れ筋や世間の話題におもねらない、伊藤幸太さん自身の本の数かず。本がもつ潜在的な力は、はかり知れない。

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第1回 はじめに
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第23回 新刊書店から古本屋へ〜小国貴司さんの話(4)
第24回 帳場のなかのジレンマ〜小国貴司さんの話(5)
第25回 宮子書店のこと〜本屋さんをめぐる体験(1)
第26回 本棚を眺める日々〜本屋さんをめぐる体験(2)
第27回 わかろうとしない読書を知る〜本屋さんをめぐる体験(3)
第28回 休業要請を受け入れた日々〜伊藤幸太さんの話(1)
第29回 「辺境」を表現する〜伊藤幸太さんの話(2)
題30回 10〜20代のころの体験〜伊藤幸太さんの話(3)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第30回 10〜20代のころの体験 〜伊藤幸太さんの話(3)


 
 
 西荻窪の古書店「忘日舎」の店主、伊藤幸太さんは、1973年に神奈川県川崎市の百合ヶ丘に生まれた。
 
「両親は書評紙の編集者だったので、家に本がたくさんあったほうだと思います。特定の作家が好きというタイプではなくて、文学全集が多かったです。当時は全集を買うのが流行っていたし、ステイタスのようなものでもありました。ふたりとものちに新聞社に移って記者になるんですけど、そのせいか家庭内で政治や社会の話をよくしていた記憶があります」
 
 小学校から中学校にかけては、音楽が好きだった。
 
「小学4年生くらいのとき、ビートルズの『Here There and Everywhere』という曲に衝撃を受けました。タイトルも場所がはっきりしない感じで、その不思議な感覚に惹かれてずーっっとこの曲ばっかり繰り返して聞いていました。たぶん両親のどちらかが聞いていたテープが家にあったんだと思います。
 中学に入ると『FMステーション』という雑誌を買ったり、『ベストヒットUSA』を観たり、貸しレコードをカセットに録音して自作のテープをつくったり、洋楽にはまっていました。a〜ha とか、カルチャー・クラブとかです。でも邦楽も聞きましたよ。雑食です。アイドルには、あんまりいかなかったですね。寺尾聰が好きでした。実力派だし、すごく渋いなって」
 
 実力派といえば、ジュリーはどうですか。
 
「ジュリーは最高ですよ! そうだ、ジュリーにはすごくはまってました。思い出しました。テレビに出てきたら、帽子をこう…斜めにかぶって歌う真似したりして、原体験ですね」
 
 中学では軽音楽部に入り、2年生のときにはイシバシ楽器でギターを買った。
 
「なんでギターだったのかっていうのは……なんとなくですね。理由はなかった。独学だから、ほんと上手くないんですけど。初めて人前で披露したのは、中学の近くに養護学校があって、学校交流の一環で校庭で演奏したときです。ハウンドドッグの『ff (フォルティシモ)』。いやこれは先生が曲目を決めたからですよ」
 
 大学に入ると、黒人音楽をよく聞くようになる。なかでも、カーティス・メイフィールドの弾くギターに魅了された。インプレッションズというバンドのボーカル・ギターを担当するミュージシャンだ。
 
「彼のギターのスタイルが、いまなお自分にいちばんしっくりきています。『ピープル・ゲット・レディ』という曲が有名で、ジェフ・ベックとロッド・スチュワートがカバーしたりしてます」
 
『ピープル・ゲット・レディ』は、1965年に発表された曲で、アメリカの公民権運動を背景につくられている。差別に苦しむ黒人を静かに鼓舞する歌詞で、カーティス・メイフィールドのギターはどこか語りかけるような穏やかさと、耳を傾けずにはいられない切実さがある。
 
「大学当時は気にしていなかったんですけど、彼は公民権運動のときにしっかり発言していると思います。久しぶりに思い出して聞いているんですが、社会状況的にミュージシャンがこういう発言をするのは、いまのほうがよりリアリティを感じます」
 
 大学時代は、ひとりの時間が増えたこともあって、系統立てて音楽を聴くようになった。幼少期に衝撃を受けたビートルズを全部聴き、ローリング・ストーンズを全部聴き、そののちブルースを……と、ルーツをたどっていく。同時に、本もむさぼるように読み始めた。
 
「いま、この店の成り立ちについて考えると、大学以降に本が好きになったことと、もうひとつ忘れられないできごとがありました。
 中学、高校と一緒だった友人がいて、彼もわたしも浪人していたんですね。ある晩、ふたりで酒を飲んでいたときに、彼がすごく深刻な顔をしているんですよ。父親から言われたんだけど、俺ね、日本人じゃないんだって言うんです。つまり在日なんだっていうことを自ら言ったわけです。
 これには伏線があって、この日の1カ月くらい前に、原付で2人乗りをしていて警察に捕まったんですね。彼が運転していて、わたしは尋問に立ち会うって言ったんですけど、俺ひとりでいいから帰ってくれって、かなり強い口調で言うんです。あれは、免許証に記載されている本名を見せたくなかったんだって、それを涙ながらに話しました。これはなんだろう、この国ってなんだろうっていう問いが、わたしのなかではじめて生まれたときですね」
 
 そのとき、なにか言うことができただろうか。
 
「なにも言えなかった。自分も不勉強だから、そうかーとしか言えなくて。自分のなかでも整理ができていない。その後、大学に入っても、就職しても、ちゃんと話はできませんでした。わたしは一度、就職したのちに渡米して、そこでやっとアイデンティティのようなものに気がつくようになる。彼も、わたしよりすこし前にアメリカに行って、いまもそのまま暮らしているみたいです」
 
 自身のファミリールーツにくわえて、友人のひとことが、店づくりの根本にある。それは、本を多く読むこととはまた違った種類の体験として、伊藤さんの血肉となっている。

( 毎月第4水曜更新 )

過去の連載を読む

第1回 はじめに
第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)
第3回 いくつかの転機~日野剛広さんの話(2)
第4回 「良い本屋」ってなんだろう~日野剛広さんの話(3)
第5回 はじめての本屋さん
第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)
第7回 時代が変わる、売り方も変わる〜海東正晴さんの話(2)
第8回 本とレコードに囲まれて〜海東正晴さんの話(3)
第9回 本屋さんの最終型とは〜海東正晴さんの話(4)
第10回 つくば科学万博のころ〜徳永直良さんの話(1)
第11回 四国で暮らしていたころ〜徳永直良さんの話(2)
題12回 つくばの本屋さんで、できること〜徳永直良さんの話(3)
第13回 書店員ののちに始めた新しい仕事について〜徳永直良さんの話(4)
第14回 落ち穂拾いの日々〜徳永直良さんの話(5)
第15回 書店員として働きはじめたころ〜下田裕之さんの話(1
第16回 早春書店を立ち上げるまで〜下田裕之さんの話(2)
第17回 80年代のことしか考えていなかった〜下田裕之さんの話(3)
第18回 下田さん、サブカルってなんですか?〜下田裕之さんの話(4)
第19回 インフラとしての本屋を成立させるために〜下田裕之さんの話(5)
第20回 新刊と古書を置く店をつくる〜小国貴司さんの話(1)
第21回 札幌、八戸、立川に暮らしたころ〜小国貴司さんの話(2)
第22回 演劇と古本屋巡りの日々〜小国貴司さんの話(3)
第23回 新刊書店から古本屋へ〜小国貴司さんの話(4)
第24回 帳場のなかのジレンマ〜小国貴司さんの話(5)
第25回 宮子書店のこと〜本屋さんをめぐる体験(1)
第26回 本棚を眺める日々〜本屋さんをめぐる体験(2)
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第29回 「辺境」を表現する〜伊藤幸太さんの話(2)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

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