第36回 いまにつながる大学で学んだこと〜蓑田沙希さんの話(4)


 
 2003年、蓑田沙希さんは法政大学文学部(二部)日本文学科へ二年時編入で入学した。奨学金を満額借り受け、昼間は働いて、大学には夜に通った。
 
「大阪芸大のときは文芸学科だったので、自分が文学作品を書くことを教えられるんですね。ものを書く仕事に憧れはあったんですが、わたし自身が書くよりも既にあるものを読んで研究するほうがはるかに社会的な意義があると思うようになって。世の中にはこんなに素晴らしい作品があるんだから、それを研究しようと思ったんです」
 
 大学で文学を学ぶことは楽しかった。
 
「読者論についての授業で、雑な言い方ですが、文学作品は読者がいて読まれてはじめて作品となる、というのがあったんです。これはすごいなって。作者が書いた瞬間が作品の誕生じゃなくて、読まれることで初めてテキストが立ち上がるので、共有するための方法論みたいなものがある。その方法論を当てはめて、いろいろなものを読むのが楽しい時期だったんだと思います。
 試験の現代文も得意なほうなんです。そのわりには大学に落ちてますが、今も学習参考書の編集を仕事にしているくらいルールに則って読むというのは好きなんです」
 
 日本文学のゼミに入り、そこで埴谷雄高を知る。代表作『死霊』。戦後文学史上、重要な作品と言われるが、同時に難解な小説としても名高い。最後まで読み通すことの困難さでは、西の『失われた時を求めて』、東の『死霊』と並び称される。
 
「ゼミの先生も法政出身で、埴谷を研究されている方でした。いろいろな作品を扱うんですけど、そのなかに埴谷があって、なんだこれは!って。すっかりはまってしまって、卒論のテーマに選んだんです」
 
 マーブルの店内の棚、右上にはずらりと黒々しい装丁の埴谷雄高が並んでいる。
 
「政治や思想の評論文とか、たくさん文章を書いているし、すごく饒舌な人なのに、『死霊』はなんで小説じゃなきゃいけなかったのかっていうことに興味がありました。小説じゃないと表現できない何かがあったのではと思って読むと、おもしろいんです。ドストエフスキーの作品に多大な影響を受けていることもあり、影が薄いながらも主人公がいて、その兄弟、婚約者とか登場人物は多く、彼らの対話が続くんですね。よく形而上的と言われますけど、対話で進んでいく場面が多いので、入口としてはそんなに難しくないように感じたんです。でもちゃんと読もうとすると、もちろんたいへんなんですが。
 9章まで書かれたところで、一応は未完の形となっているので作品としては終わっていないんですけど、それぞれの章は独立して読めますし、終わらなくてもいいような感じもあり。これだけの長編なので、最初からゴールがあったわけではない、そこに長考するおもしろさもあるんです」
 
 蓑田さんは、ユニコーンを語るときとはまた違った明瞭さで、言葉ひとつひとつに力を込めて『死霊』を語る。方法論に則って読み、研究したことが伝わってくる。
 
「戦後文学が格好いいって思ったんです。当時は憧れもありました。時代が変わるときに、あれこれ考えることって、おもしろいですよね。どうしたらいいのかわからないから考え続けて、そこからいろいろなものが生まれたり、書く内容が変わってきたりするのが、すごくおもしろい。
 最近、これは今の時代にちょっと似てるなと思います。コロナもそうですけど、生活の仕方とか豊かさの質が変わってきたときに、自分の考えをどうしていくのかを物語を通じて書くっていうのは、共通するところがあるなって」
 
 大学ではもうひとつ、印象深い授業があった。近世文学のなかで学んだ「連句」だ。五七五と七七を交互に連ねていく文芸のことで、連ねていくことで別の風景が立ち上がってくる。
 
「基本的なルールとして、ひとつ前の句に対して自分の句をつけるけど、ふたつ前の句には戻らないというものがあります。すると、間の句をはさんで、前と後ろでまったく違う意味合いのものを共有することになる。自分で考えたものは、自分の思惑があるんですけど、それが人とつなげることで違う意味になる。意味が増殖していくんです。そのときのメンバーとか座の雰囲気によって、どんどん変わっていくのが、ジャズのセッションみたいなんですね」
 
 連句には序破急の流れがあり、第一句を発句、次が脇句、あとは第三句……と続いていく。最後の七七の句は「挙句」といい、「挙句の果て」はこれが由来だ。「月」や「花」を詠む定座はあるものの、基本的なルール以外は、その「座」ごとに自由度は高い。
 
「わたし、ムーンライダーズが好きなんですが」蓑田さんは話を続ける。「ちょっと話が飛躍しますけど」と笑いながら。
 
「ムーンライダーズの音楽と歌詞の関係って、意味や感傷にはまりすぎないところとか、何かがランダムにあることで元々の意味と変わってくるところとかが、連句にちょっと近いような気がするんです。固有名詞単体だと、その意味しかないけど、前後に別の言葉があることで、その意味をがらっと崩してくれるみたいなところが」
 
 蓑田さんにとって大学で学んだことは、直接的にも間接的にも、現在の生活につながっているようにみえる。学問は人が生きる力になるのだ。
 

( 毎月第4水曜更新 )

過去の連載を読む

第1回 はじめに
第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)
第3回 いくつかの転機~日野剛広さんの話(2)
第4回 「良い本屋」ってなんだろう~日野剛広さんの話(3)
第5回 はじめての本屋さん
第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)
第7回 時代が変わる、売り方も変わる〜海東正晴さんの話(2)
第8回 本とレコードに囲まれて〜海東正晴さんの話(3)
第9回 本屋さんの最終型とは〜海東正晴さんの話(4)
第10回 つくば科学万博のころ〜徳永直良さんの話(1)
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第33回 古書店であり、酒と肴の店であり〜蓑田沙希さんの話(1)
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第35回 あやちゃんが札幌にいるから大丈夫〜蓑田沙希さんの話(2)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社