第28回 休業要請を受け入れた日々〜伊藤幸太さんの話(1)


 
 2020年のはじまりとともに未知のウイルスが世界中に広まり、人びとの生活は一変した。
 4月7日には、東京都をはじめとする7都道府県で緊急事態宣言が出され、「人と人の接触機会を最低7割、極力8割削減できれば、2週間後には感染者の増加を減少に転じさせることができる」として、外出自粛が呼びかけられた。
 東京都では休業要請が出され、5月6日までに20日間休業した店には「感染拡大防止協力金」として50万支給されると発表されたのが4月15日。翌16日からの休業か、支給なしか、という判断をたった一晩で下さなくてはならなくなった。古書店は、この協力金が適用される業種だったが、新刊書店は「生活必需品を扱う」として対象外となり、同じ本を売る業種として対応が分かれたことも混乱を招いた。
 こうした行政からの要請に関わらず、店を開くことで感染を広げてしまうかもしれないという恐れから、休業に踏み切ったところも多い。店を開けるか、閉めるか、という根源的な問題を、得体の知れない力によって否応なしに突きつけられたのだ。
 
 これから始まるシリーズは、東京・西荻窪の古書店「忘日舎」の伊藤幸太さんのお話だ。2015年に開店したときに取材させてもらい、東日本大震災をきっかけに店をやろうと思ったこと、「辺境」を感じる本を揃えていきたいと思っていることなどをうかがった。
 今年からはじまった「やわらかくひろげる ハンセン病文学を読む」という読書会に参加したことで、もうすこし深く、伊藤さんの話を聞いてみたいという思いが強くなった。読書会は1月に始まり、月一開催で6回予定だったが、途中、コロナウイルスの影響で中断。忘日舎もまた、店を開けるか閉めるかという問題に直面する。
 
「東京都の感染拡大防止協力金が翌日から休まないともらえないと知って、その日、4月16日から休みました。迷ったんですけど、休むことにしました。ただものすごく悔しかった。自分のなかでトラウマになるくらい」
 
 それはどんな悔しさだったのだろう。
 
「…なんていえばいいんでしょうね…その…行政といわれるものから、結果として営業停止しなさいという圧力をかけられたわけですよね。その力がものすごく強くて、そんな力に屈しまいとしていたのに、やっぱりお金がちらついた。どうしても。自分がそういうものに対して妥協してしまった、自分がやろうとしていることと矛盾してるんじゃないかって思いました。こういうときこそ開ければいいのに。
 この悔しさをどうやって解消すればいいか考えた末に、『休業という仕事をしている』というように切り替えたんですね。仕事したくなくて仕事をしていないんじゃなくて、休業しろっていう仕事を課せられている。そう自分に言い聞かせてはいたけど、やっぱりつらかったです」
 
 伊藤さんは言葉を探しながら話す。
 
「あのときツイッターを見ていて、書店どうしでもちょっとした価値観の相違みたいなものはあったように感じたし、みんな個別にがんばっているのが伝わってくるから、自分が試されているように思いました。当時のことは、まだうまく言えないところがあります」
 
 5月6日まで休んだものの、緊急事態宣言は延長され、東京都の休業要請も再び出されて、もし休めばさらに50万支給されることとなった。でも、伊藤さんは5月17日、店を開ける。
 
「とっても天気が良い日曜日でした。温かくてね。なんで開けたのかは…覚えていなくて、腹が立ったのか、気持ちが滅入っていたのか、50万はもらえなくなったわけですけど。
 あの日は遠くからいらっしゃった方もいて、かなり売上げがあったんですよ。夢野久作の全集と澁澤龍彦の文庫など、段ボールに詰めるほど大量に買ったお客さんがいて、もうびっくりしちゃって、金額の計算を間違えそうになりました。みんな本を求めているというか、貪欲な空気がありました」
 
 1日、開けたものの、その後5月いっぱいは休業した。再び開店したのは、6月2日のことだ。
 とはいえ、伊藤さんは店にはよく来ていたという。大量に入荷した岩波文庫を整理して棚をつくったり、店の web shop を立ち上げたり、インスタライブで本の紹介をしたりした。
 
「インスタライブは、わたしは映らずに声だけで、ラジオのようにやりたかったんです。今でこそオンラインイベントがさかんですが、当時はまだみんな手探り状態で、誰かの声に耳を傾ける感じのほうが、伝わるような気がしたんですよね。ある意味“非常時”だったので、地下ラジオみたいなイメージで。時間は30分くらいで、30〜40人くらいが聞いてくれました。紹介した本は web shop にアップしていました」
 
 店は閉じていても、インスタライブでは、お客さんとつながっている感触があったという。これまでも、忘日舎は自分ひとりで成り立っているわけではなく、お客さんや、店に関わるいろいろな人との関わりのなかで「空間が耕され、時間が蓄積されていく」と感じていた。
 今年、コロナ禍において、店をやっていくことについて、伊藤さんはどんな思いを抱いたのだろうか。
 
「店を主体的にやるというのではなく、こういう場所が『ある』ことを下支えしたいと思うようになりました。この店があることを維持する。店に関わる人との共同作業で、この場所をつくっていけたらいいし、書店をやる意味はある。だから自分のために店をやっているとは思わなくなりました」

( 毎月第4水曜更新 )

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第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)
第3回 いくつかの転機~日野剛広さんの話(2)
第4回 「良い本屋」ってなんだろう~日野剛広さんの話(3)
第5回 はじめての本屋さん
第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)
第7回 時代が変わる、売り方も変わる〜海東正晴さんの話(2)
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第10回 つくば科学万博のころ〜徳永直良さんの話(1)
第11回 四国で暮らしていたころ〜徳永直良さんの話(2)
題12回 つくばの本屋さんで、できること〜徳永直良さんの話(3)
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第20回 新刊と古書を置く店をつくる〜小国貴司さんの話(1)
第21回 札幌、八戸、立川に暮らしたころ〜小国貴司さんの話(2)
第22回 演劇と古本屋巡りの日々〜小国貴司さんの話(3)
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第27回 わかろうとしない読書を知る〜本屋さんをめぐる体験(3)


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

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