第24回 帳場のなかのジレンマ〜小国貴司さんの話(5)
新刊書店のリブロを退社して、『BOOKS青いカバ』を開いた小国貴司さんは、帳場のなかで日々、葛藤している。
「会社員であることと、個人で店をやっていることは、接客の面でだいぶ違います。いまは開き直っている感じがしますね。クレームがくるならきてもらってかまわない、という。
自分がやりたいことは、専門店ではなく不特定多数の、極端なことを言えば本を読まない人たちも来てもらって、何かを買っていってくれるような店なんです。でも、冷やかしで来てほしくないわけですよ。買う気もないのに時間つぶしとか、待ち合わせで使うとか」
そうした冷やかしの人が、あるときお客さんになったりするかもしれない。ならないかもしれない。
「単純に、対価が発生しないから嫌なんですよね、やっぱり。嫌だっていうのはどう考えても、店主として心が狭すぎるっていうのは自覚してます。そのバランスをどうとるかっていうのが、すごく……難しくて……いまいちばんの悩みです。会社員のときは、来た人が買うか買わないかは、自分の生活にこれほどまで直結していなかった。ここが、いちばん違うところです。
自分の店では、できるだけ心穏やかに過ごしたいというのはあって、冷やかしのお客さんを許せるためには、余裕が必要なんだと思います。金銭的にも、心的にも」
小国さんの率直な言葉を聞いて、目が覚める思いがする。本や本屋さんは、どこか高尚で、金銭云々とは別次元のところにあって、儲かることをタブー視する一面がある。商売は二の次という暗黙の圧力。自分を省みても、本屋さんは買わなくても許される安全地帯と甘えているふしがある。冷やかしで入っていいところこそが、本屋さんの良さ、とさえ思っていたりする。
「それはすごくまっとうな正論です。自分もそう思うんですよ。だけど実際に、もし自分の本がずっと立ち読みされて、買わずに立ち去られたら嫌でしょう?」
嫌です。自著がそっと棚に戻される現場に何度か遭遇してしまって、やりきれない思いがしたことを思い出す。
「それと同じです。冷やかしができるのが書店の良いところでしょう? って言われたら、そのとおり! ってこたえるけど、でもそれは自分の店ではやらないでくれって思うわけです。店に来てほしい、ただ来たからには5回に1回はなんか買ってよって思う。極端な話をすると、1日1000人が来店したけど売上げがゼロだったら、その店はもたない。でもその店主に対して、1000人も来るんだから立派な店だよ、なんて言えないです。正論だけど言えない。そのバランスをとるのが、商売の難しさだなって」
『BOOKS青いカバ』においては、全部が自分の責任だ。自分ひとりの才覚で店をつくり上げていかなくてはならない。
「買わないで出て行くお客さんが続いちゃうと全否定された気になる。もちろん買うものがないのは、完全にこちらの責任なんですけどね。それはわかってるんですけど。こんな気持ちになるんだなって、開店してから気づきました。3年やっても慣れない。むしろ日々悪くなってる。いっぽうで、ふらっと冷やかしでも入ってこられるというのが、店をやってる意味でもある。これはめっちゃ難しい……矛盾を抱えてるんです。イライラと自己嫌悪のくり返しで、5人連続で買わずに出ていかれたりすると帳場の机を蹴ってます」
机、蹴っちゃうのか……いたたまれない空気になる。
「こういうこと言うと、お客さんはプレッシャーになるでしょう? 手ぶらで出て行くと、店主が機嫌悪くなるっていうのは。イライラは伝わりますからね。これも大学の演劇のワークショップで学んだことなんですけど、人が思っていることは、直接言葉にしなくても伝わります。たとえば、ふたりペアになって、シチュエーションをそれぞれ自分で考えて『おはよう』って言い合う。発するのは一言なんですけど、その言い方でケンカした翌日の朝なのか、晴れ晴れとした朝なのか、相手の設定を予想する。自分がやったときはドンピシャで当てられました。その場の空気で伝わるんです。
店主のイライラが伝わって、この店ちょっと居づらいなって買わずに出ていっちゃうお客さんもいると思います。だから最近は、負のオーラを出さないように、お客さんをあまり見ないように努力してるんです。入ってきたときに、この人は買うか買わないかって、だいたいわかってしまうので」
「でもね、お客さんには買わないことをプレッシャーに感じてほしくないんです」と小国さんは話す。揺れ動いている。「難しいです、ほんとに」とくり返し、出口が見えない葛藤は続く。
今回、小国さんの話を聞いて感じたのは、本はどこで買っても同じではない、ということだ。新刊書店は、全国で同じものを同じ価格で売るという希有な商売である。だからといって、どの店で買っても同じとは限らない。個人的に、『プラテーロとわたし』と『プレヴェール詩集』は、『BOOKS青いカバ』で買いたいと思い、実際買った。正確には、小国さんから買いたいと思った。
どこで買っても同じだからこそ、どこで買うか、誰から買うかがクローズアップされてくる。より率直に言えば、どこにお金を落とすか、だ。同じ金額を落とすのであれば、店主のことを少なからず知っている、この店がなくなるとかなり困る、なくなって後悔するのはまっぴらだ、微力ながらも応援し続けたい、そういう店で買いたい。1冊の本を買うにも、ささやかな思想をもつ。
小国さんに話を聞いたのは、2020年2月だった。あれから世界は一変し、本に限らず、生活用品全般を「買う」ことの意味を逐一考えざるをえない状況に直面した。そのなかで考え続けた「本屋さんで本を買う」ことについて、次回から書いていきたいと思う。
( 毎月第4水曜更新 )
過去の連載を読む
第1回 はじめに
第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)~
第3回 いくつかの転機~日野剛広さんの話(2)~
第4回 「良い本屋」ってなんだろう~日野剛広さんの話(3)~
第5回 はじめての本屋さん
第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)〜
第7回 時代が変わる、売り方も変わる〜海東正晴さんの話(2)〜
第8回 本とレコードに囲まれて〜海東正晴さんの話(3)〜
第9回 本屋さんの最終型とは〜海東正晴さんの話(4)〜
第10回 つくば科学万博のころ〜徳永直良さんの話(1)〜
第11回 四国で暮らしていたころ〜徳永直良さんの話(2)〜
題12回 つくばの本屋さんで、できること〜徳永直良さんの話(3)〜
第13回 書店員ののちに始めた新しい仕事について〜徳永直良さんの話(4)〜
第14回 落ち穂拾いの日々〜徳永直良さんの話(5)〜
第15回 書店員として働きはじめたころ〜下田裕之さんの話(1)
第16回 早春書店を立ち上げるまで〜下田裕之さんの話(2)
第17回 80年代のことしか考えていなかった〜下田裕之さんの話(3)
第18回 下田さん、サブカルってなんですか?〜下田裕之さんの話(4)
第19回 インフラとしての本屋を成立させるために〜下田裕之さんの話(5)
第20回 新刊と古書を置く店をつくる〜小国貴司さんの話(1)
第21回 札幌、八戸、立川に暮らしたころ〜小国貴司さんの話(2)
第22回 演劇と古本屋巡りの日々〜小国貴司さんの話(3)
第24回 新刊書店から古本屋へ〜小国貴司さんの話(4)
著者プロフィール
屋敷直子 Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。
©夏葉社