四谷三丁目の交差点近くに、宮子書店という小さな本屋さんがあった。  開業して100年以上経つ町の重鎮。入口すぐの平台には、墨と朱の毛筆体で書かれた短冊型のポスターが数枚、積み上げた雑誌の下に折り込むようにしてかかっている。総合誌や週刊誌の広告だ。書棚は木製で堅牢、茶色が熟して飴色になっていた。すみずみまで掃除が行き届き、雨の日も風の日も気候に関係なく店内には静かな穏やかさがある。店 […]

     新刊書店のリブロを退社して、『BOOKS青いカバ』を開いた小国貴司さんは、帳場のなかで日々、葛藤している。   「会社員であることと、個人で店をやっていることは、接客の面でだいぶ違います。いまは開き直っている感じがしますね。クレームがくるならきてもらってかまわない、という。  自分がやりたいことは、専門店ではなく不特定多数の、極端なことを言えば本を読まない人 […]

     2003年3月、小国貴司さんは立教大学を卒業する。  その年の5月からは、旅行ガイドをつくる編集プロダクションで働きはじめるが、10月に父親が亡くなったこともあって退社。翌年2月、新刊書店のリブロに契約社員として入社した。最初の店舗は錦糸町店で、そのときに正社員の募集があり、試験を受け合格、晴れて正社員になった。   「リブロには13年いて、ビジネス書の担当 […]

      立教大学文学部に入学し、日本文学を専攻した小国さんだが、授業の出席率はあまりよくなかった。   「お芝居のサークルに入ったんですね。演じるだけでなく、台本書き、照明音響、演出まで、全部自分たちでやるところでした。1年間に3公演あって、4月は2年生、10月は3年生、12月は4年生最後の舞台と、メインとなる学年が変わるんです。  公演期間中は授業は二の次で、と […]

     小国貴司さんは、小学校・中学校・高校とそれぞれ違う土地で暮らしている。生まれたのは山形県だが、小学2年生から卒業までは札幌、中学は八戸、高校は立川だった。  札幌で過ごした小学生時代は、80年代後半から90年代前半、ちょうど超能力や大予言がはやっていたころだった。   「当時は、学校図書館でオカルト関連の本や、図鑑をよく見ていました。図鑑シリーズのなかでは、宇宙が好き […]

『プラテーロとわたし』という本がある。 スペインの詩人ヒメネスが、ロバのプラテーロと過ごした日々を綴る散文詩で、詩人の故郷であるアンダルシア地方の太陽と海と草花がいきいきと描かれ、ふんわりとした灰色の綿毛のプラテーロに語りかけるように物語はすすんでいく。   「きょうの午後の空は、なんて美しいのだろうね、プラテーロ」 「そのチョウを見てごらん、プラテーロ」    詩人が語りかけ […]

  「自分がおもしろいと思うことに自信がある」というのは、人として強い。下田裕之さんの話を聞いていると、そう感じる。作品やものごとに対して、おもしろいか、おもしろくないか、という判断は主観的なものだ。だからこそ、そこは自分勝手に、徹底して独善的な判断を下してよいはずだが、己を振り返ってみると自信の程に迷いがあるときがある。おもしろい! と盛り上がっても、気の迷いだったかな…そうでもないか […]

   中学〜高校時代、80年代のことだけを考え続けてきた下田裕之さんは、2005年、法政大学に入学して哲学を専攻した。担当の先生はバタイユが専門だったが、下田さんが興味をもったのはジャン・ボードリヤールというフランスの哲学者だ。   「たとえば、やかんの使用価値は『湯をわかす』ところにあります。この社会に、やかんが30個しかなかったら、『湯をわかす』機能が重宝されるけど、ひとり […]

   下田裕之さんは、1984年、兵庫県伊丹市に生まれた。その1ヶ月後には東京の中目黒に引っ越し、4〜5歳くらいまで過ごす。その後、埼玉の浦和市(現・さいたま市)に移り、小・中・高校まで通った。下田さんにとって忘れがたく、のちの人生に大きな影響を与え続けているのが、80年代半ばから末期にかけて過ごした中目黒での記憶だ。   「中目黒や祐天寺あたりの風景にインパクトがあったことを […]

   下田裕之さんが、勤めていたジュンク堂書店を退社したのは2018年2月。2016年に店長となった立川店が最後の店となった。大書店を辞めて自分の店を持とうと思ったのは、「自分で選択できる領域」を求めてのことだ。   「2010年代に書店員として働いていた間、考え続けていたのは、ネットが普及してきたことで、90年代的なメガストアにインフラとしてどんな役割があるのか、ということで […]