絵・マメイケダ

ここ数年、4月から夏休みに入るまでの前期間だけ非常勤講師として大学へ通っている。自分が受け持つのは「クリエイティブ・ライティング」というコースの「編集デザイン」という授業で、編集もデザインも門外漢である自分は、読者の立場で特異な編集や優れたデザインの雑誌を紹介、解説している。自身の作品は一切掲載しない代わりに特集された本人が編集長となり、関心のある作家に原稿を依頼した『ユリイカ』の谷川俊太郎特集や、誌面をまるごとアーティストたちにギャラリーとして提供してしまった1970年代初頭の『美術手帖』、マリリン・モンロー自らコンタクトシートにバツをつけたお蔵入り写真を死後そのまま掲載してしまった『EROS』マガジンなど古いものから、最近の『週刊文春』や『POPEYE』まで、数少なくなってしまった総合誌や専門分野をはみ出すような専門誌を題材にすることもある。雑誌は「必要な情報とそうでない情報が束になっている」という特性を持つ情報メディアだ。しかもその雑多な情報は能動的に購入することではじめて自分のものになる。古書組合の競りで、手に入れたい一冊が混じっているために束ごと購入するシステムにもどこか似ている。あるいは幕の内弁当。大して好きでない付け合せも惰性で残さず食べているうちにいつの間にか血肉になっている。いらない本はすぐに処分したり、嫌いなおかずは残すこともあるだろうけど、その存在を視界の端にでも認識することが後に効いてくるのだ。選ばず受動的に目にする、ということにこそ価値がある。消え行くオールドメディアを擁護し、学生たちに押し付けたいわけではない。雑誌には雑誌なりの特性があり、それを知ることで「雑誌的」な思考法や物の見方ができるはずだ。そんな話を毎年している。
 
 
ある日の授業でこんなワークショップをした。それぞれ手持ちのスマートホンを利用して、特定のスケジュールを組み立ててもらう。毎年内容は変えているが、最近では「東京都内でマチスの絵を観て、昭和の日本映画を鑑賞した後に両親を連れて寿司を食べに行く」というお題を出したのだが、これが簡単なようでいてなかなか解答がでない。他人からのオーダーで検索する、ということ自体が稀なことだろうし、意地の悪い課題であることは重々承知の上での出題だが、設定時間の20分を大幅に超えても挙手する学生が出てこないのには驚いた。終了後に検索履歴をそれぞれに発表してもらった結果、判を押したように同じ道筋を歩もうとしていたことがわかる。抽象的な要請を検索ワードへと変換する語彙が不足しているのだ。エリア内で両親との会食に適した、懐具合に合う寿司屋を検索することは容易だ。場所と業種で「食べログ」にたどり着けば、地図も値段も外観もユーザーレビューも掲載されている。しかし、「常設」や「名画座」という検索ワードを彼らは持っていない。「東京」「マチス」「美術館」で検索しても、上位には過去の企画展しか出てこないし、「東京」「昭和」「日本映画」でトップに出てくるのは現在のところ東京を舞台にした映画をリストアップしたWikipediaページだ。自分の興味のある分野であればいくらでも検索できるし、たどり着くことはできるのだから、それはそれでなんら問題はない。しかし、サーチエンジンが窓になった彼らの街には名画座やふらりと立ち寄れる美術館は存在しないに等しいのかもしれない。
 
 
その昔、情報誌『ぴあ』が創刊された際に伊丹十三は「『ぴあ』によって東京が映画都市になった」と語った。もともと存在していた映画館を俯瞰してみることではじめて地図が浮かび上がり、自らの行動にまで影響を与える。これまでロードショー館にしか通っていなかった読者にも、名画やミニシアターという選択肢とキーワードを与えてくれたのだという。
 

 
かつて京都には「カイトランド」という月刊のフリー情報誌があった。1981年に京都教育大学の学生によって創刊された縦長の冊子で、覚えている限りでは2000年代初頭まで配布されていたはずだ。当時フリーペーパーを配布しているような店は限られていたから、配布協力店のリストの中から自分の行動件の店を見つけて足繁く通い、入手してそこに掲載されているライブや映画のスケジュールをチェックする。たしか映画館以外での上映イベントや、クラブやカフェでのライブ情報も掲載されていて、日伊会館でジョン・カサヴェテスの映画を観ることができたのも、クラブメトロでバイオレントなカルトムービー『ピノキオ√964』の爆音上映を体験できたのもこの冊子のおかげだったはずだ。伊丹十三にならって言えば、実家と友人宅、一握りの本屋とレコードショップだけだった自分の京都が、カルチャー都市として姿を変え、広がりを見せたわけである。京都という小さな町で暮らす同じ嗜好を持つ人間にとって「カイトランド」は地方紙同様の影響力を持っていた。同誌に掲載されることは当時の京都でなんらかの活動をしている者にとっては特別なことで、主催するクラブイベントが紹介された号はいまも大事に保管してある。
 
 
行動圏が広がり隣町の大阪にまで足をのばすようになると、今度は京阪神エルマガジン社が発行する雑誌『L-magazine』や『meets』が情報源となり、訪れる店も本屋やレコード屋のハシゴだけではなく、喫茶店で一服し、帰りに酒場に立ち寄るようになった。行動圏という空間の選択肢だけでなく、質的な変化まで雑誌に影響されていたのだ。2009年に刊行された『L-magazine』の最終号は「ベスト・オブエルマガジン」と題して、同誌がこれまでに複数回取り上げてきた50の店やスポットを紹介している。この原稿を書くにあたって引っ張り出して開いてみたら、殆どが訪れたことがある知り合いの店ばかりで驚いた。映画館にクラブ、カフェに居酒屋、自分で選んでたどり着いたのではなく、雑誌に導かれていたのだと改めて実感する。誌面には若かりし頃の自分の姿もある。架空のスモールタウンが情報誌の中にあって、そこをウロウロしていたのが当時の僕だった。
 
 
いまや『ぴあ』も『カイトランド』も『L-magazine』もすべて休刊し、過去のものになってしまった。スケジュールや場所など、文脈を持たない「純粋な情報」はすべて無料で検索できるのだから当然のことだ。街を歩くことが楽しくて仕方がない二十代の頃にタウン誌の時代の最後の時間を体験できたのは幸福だったと言うべきなのかもしれない。今や知らないお店やイベント情報はウェブマガジンやSNSが教えてくれる。しかし、自分の関心のある場所もそうでないところもあわせて俯瞰して、少しずつ自分の地図を描き足していくような楽しみはもう損なわれてしまった。自身の語彙や知識内をはみ出すことのない能動的な検索と、アルゴリズムや、フォローすることによって受動的に提供される情報の間で、21世紀の街は広がりを止めつつあるのかもしれない。

 

 ( 毎月第4月曜更新 )


著者プロフィール

堀部 篤史  Atsushi Horibe
1977年生まれ。誠光社店主。著書に『街を変える小さな店』など。

 

©夏葉社