絵・マメイケダ

FBI心理分析官をテーマに製作されたNetflixオリジナルドラマ、『マインドハンター』を観た。残酷描写のインフレが進むシリアルキラーものとは一線を画す、異常殺人者とFBI捜査官との心理戦に主眼を置いたデヴィッド・フィンチャー製作総指揮ならではの重厚な作品だ。まだ「プロファイリング」という概念自体一般的には認知されていなかった1970年代初頭、FBIの若き捜査官フォードは仲間とともに連続殺人鬼たちとの面会を繰り返し、犯罪心理捜査のメソッドを実践的に組み立てていく。その過程で主人公は現実の世界と彼らの世界の間で揺さぶられ、心身共にすり減らすような思いをする。残忍な殺人鬼たちのエピソードで視聴者を驚かせるような子どもだましではなく、不条理さにロジックで立ち向かう捜査官たちの心理的ストレスや、組織との軋轢に焦点を当てているところが上手い。
 
 
劇中には実在した数多くのシリアルキラーたちが登場するが、中でもエド・ケンパーの静かな迫力は、モニターのこちら側にも緊張を強いるほど圧倒的だ。刑務所内の面会室でフォードに相対するケンパーは非常にクレバーで客観的、相手の考えを見透かしているかのごとし鷹揚な態度は本物さながらの迫真の演技。ヒッチハイカーを次々殺害したあげく、因縁の母親を殺し、切断した首に向かって一晩中罵倒し続けたという禍々しいサイコキラー。その動く姿は目にしたことがないはずなのに、何故ケンパーを演じる役者の姿になぜリアリティを感じ、既視感を覚えたのか。思えば、かつて殺人鬼たちは日常のすぐ側にいた。
 
 
1995年、デアゴスティーニから創刊された「週刊マーダーケースブック」の第一号「チャールズ・マンソン」を購入したのは実家から徒歩三分の、今でいう「街の本屋」、つまりかつてどこにでもあった新刊書店だった。エスカレーター式の進学校にかよっていた僕は、高校三年の終わりごろから学生になるまでの短期間暇を持て余し、その本屋で短期間アルバイトをしていた。そのバイト先の本屋に突然、毎号一人ずつ殺人鬼たちを紹介していくと銘打たれた雑誌が平積みされていたのだから驚いた。映画版『羊たちの沈黙』がアカデミー各賞を受賞、日本でも話題になった「知的な殺人鬼」ハンニバル・レクターの存在が土壌をならしたのだろうか。そもそもデアゴスティーニといえば鉄道やら、クラシックカー、懐かしのアニメやヒーローなど、オッサンが読む懐古趣味の刊行物だとしか認識していなかった。
 
 
「創刊号には特製パーツが付いて特別価格」。そのデアゴスティーニが、満を持して殺人鬼をテーマに新シリーズを創刊。その一番バッターに選んだのが、かつてシャロン・テート事件で世間を騒がせた、カルト教団「マンソン・ファミリー」のカリスマ的指導者チャールズ・マンソンだ。事件の詳細、殺害件数、生い立ち、その後など、事細かに、かつ淡々と殺人鬼たちのプロフィールが紹介される。そんなプロ野球チップスのようなカジュアルな設定と、シリアルキラーというテーマのギャップにすぐさま虜になった。記憶は薄いが、検索してみると、創刊翌年の第62号でようやく登場したのがエド・ケンパー。根気のない自分はおそらく10号前後で満足してしまい購入をやめていたはずだから、ケンパーのことを知ったのは他の書籍からだったのかもしれない。いずれにせよ、その頃殺人鬼を扱った本はデアゴスティーニだけではなく、ある種のブームと言っていいほど出版され、その中でもケンパーのエピソードや人物は突出して狂気の度合いが高く、印象に残っていたのだろう。知的好奇心に満ちた十代の終わり頃、本屋は周縁世界への扉でもあった。
 

 
あらゆる自殺方法を解説するマニュアル本を装った『完全自殺マニュアル』がベストセラーになったのが1993年。翌94年には赤田祐一編集による『クイックジャパン』が創刊され、「いじめ」をテーマにしたインタビュー記事が話題を呼び、1999年には教師が生徒たちに殺し合いを命じるゲーム感覚の小説『バトルロワイヤル』が刊行される。自身の思春期~青年期のはじめに大きく重なる数年間、太田出版は青林堂と並び、あの頃の自分にとっては教科書のような存在だった。
 
 
教養のない自分にとって、未知のものに触れるとっかかりは極端なもの、つまり周縁にしかなかった。あらゆるポップ・カルチャーの土台となったマスターピースは自分たちの親世代、つまり団塊の占有物だという反発もあったのかもしれない。はるばる大阪のミニシアターまで足を運び、70分間青色がスクリーンに映され続けるデレク・ジャーマンの『ブルー』を観たり、ノイズミュージックのライブに出かけてフランス人形を投げつけられたり、数秒で終わる曲が100曲以上収録されたグラインド・コアバンドのアルバムを買ってみたり。漫画だって、親の本棚にあった手塚治虫作品ではなく心神喪失により表舞台から去った「消えた漫画家」たちのカルト作品を読み漁った。『モンド・ミュージック』というディスクガイド本で知った「RE/Sarch MAGAZINE」ではストレンジ・ミュージックだけでなく、フリークスやスーパーマゾヒスト、ボブ・フラナガンが紹介されていて、アートに隣接する扉がそこには開いていた。かつて心斎橋のパルコにあった「ロゴス」や梅田の「ロフト」の最上階にあった「リブロ」には怪しげなものがゴロゴロあって、今思えば奇妙なものという肌感覚でモダンアートに接近していたのだろう。名作・古典をほったらかしにして、異端や周縁からジワジワと中心ににじり寄る。カルト作や極北ばかりに触れてきた自分には、今でも基礎教養が欠けているとつくづく思う。ずいぶんと回り道をしたものだ。
 
 
殺人鬼に自殺マニュアル、ノイズや実験映画や音楽に、アウトサイダー・アート。多感な頃に浴びるように摂取してきたことが今の自分にどのように影響しているのかはわからない。ただ一つ言えるのは、道徳的バイアスや言い訳抜きでエド・ケンパーやチャールズ・マンソンに出会うことができたのはあの頃ならではのことだったのかもしれない。極端なものをただ相対化し、客観的に観察することでしか見えてこないものがある。人殺しが悪であることなど百も承知の上だが、誰にも理解できない異端というものがこの世には存在する。それらを善悪で片付けたり、嫌悪し目をつぶるのではなく、一度受け入れて客観的に考えることはまさにリテラシーの訓練だった。わからないことは、排除すべきことではなく、興味深いこと。簡単に理解できることなんて、文学でも映画でもアートでもある必要がない。そこらの本屋に足を運べば、大いなる謎であるチャールズ・マンソンに出くわすなんてなかなかエキサイティングな時代だった。
 
 
万人が批評家になった結果、われわれがいま甘受しているのは多様な意見ではなく、多数決による点数である。駄作か傑作か、善か悪か、コメディなのかホラーなのか。明快でわかりやすい意見が珍重されるSNSでは、複雑な問題は単純化され、明快な答えのないものごとはないがしろにされてしまう。いまやわからないものをわからないまま楽しむという人間はマイノリティになってしまったようだ。かつてそこらの本屋で「マーダーケースブック」に出会ったように、せめて自分の店にはそこらに時限爆弾のような本を仕掛けておきたい。

 

 ( 毎月第4月曜更新 )


著者プロフィール

堀部 篤史  Atsushi Horibe
1977年生まれ。誠光社店主。著書に『街を変える小さな店』など。

 

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