第9回 本屋さんの最終形とは〜海東正晴さんの話(4)〜


 
 蔵書家であり、書店員でもある海東さんでも、本を読むことから遠ざかった時期があった。
 
「自分が仕事にのめり込んでいるとき、『本を読む』より、『本をすすめる』ほうが楽しい時期がありました。ほんとうは両立しなくちゃいけないことだし、今なら読んでいない本をすすめてどうするんだと思うんですが。書店員をやっていると、目次やカバー、帯を見て、ぱらぱらとページをめくると中身がだいたいわかる力がついてくるんですね。これは僕だけでなく、多くの書店員がそうだと思います。
 そうした比較的浅いところの本の知識を元にしてポップをつくったりするのではなく、自分が最後まで読みこんだものを、ほんとうに良かったという気持ちをあらわしたすすめ方をしたい。最近はそう思っています」。
 
 本は、それがないと生きていけないというものではない。相当な読書家で活字中毒を自認する人は「本がなかったら生きていけない」と言うが、それは個人の嗜好であって、一般的には読書はあくまで娯楽である。だからこそ、書店員さんたちは日々奮闘している。生活必需品ではないけれど、本を買ってほしい。
 
「読書のいちばんの醍醐味は、自分が知らない世界を体験できることだと思うんです。その楽しさにすこしでも気づいてもらうために、どんなことができるのか、それを考えるのが僕たちの仕事ですね。本屋さんに来たお客さんは、何かしらのきっかけがあれば本を買っていただける人だと思っているので」。
 
 本に興味がなく、読む習慣もない人に対してのアプローチを考えていますか? と聞くと、「それは無理だと思います」と海東さんは断言した。「人口の半分は、ほとんど本を読まないと思っています。だからそこに力は使いません」。
 そのぶん、お店に来てくれたお客さんには全力でアプローチする。
 

  
 まず、平台に並ぶ本に付けられたポップの文字数が多い。小さな文字でびっしりと、いろいろな形の紙に書かれている。紙の色と、マジックの色が読みやすい組み合わせで、文字もとてもていねいだ。じっくり読みこんだ結果、ものすごくおもしろかったことが伝わってくる。
 文庫の棚の側面には、番号が書かれたカードフォルダがかかっている。「文庫との新しい出会い、いかがでしょうか?」とあり、思い浮かんだ番号のカードを取り出すと、裏に1冊の文庫本の書名と短い紹介文、置いてある棚の番号が書かれている。自分で選ぶのではない、偶然の出会いを演出するツールだ。いつもとは違うジャンルの本が読みたいときのきっかけになるだろう。
 文芸単行本の新刊棚は、書名の50音順に並んでいる。新刊を買いに来るお客さんが記憶しているのは書名なのではという考えからだ。既刊は作家順になっていて、在庫が複数冊ある場合は、新刊も既刊の棚にさす。ビジネス書の新刊はジャンル別に並べる。どうやったらお客さんが探しやすいのか、試行錯誤をかさねた結果、たどり着いた並べ方だ。
 2階には、知識の泉といった風情の小部屋がある。岩波文庫、講談社学術文庫、各社の新書シリーズが中央に、壁際には歴史、宗教と、みすず書房の本。
 

 
「あそこにあるのは、硬いイメージの本ですね。衝動買いの対象ではないと思うので、2階にも上がってほしいという期待もあります。かといって敷居を高くしているわけではなくて、若い人たちに向けて知識の深掘りができるようなラインナップを揃えていきたいんです」。
 
 1階のレジ横には、舞城王太郎、津村節子、宮下奈都、水上勉といった郷土の作家の棚がある。地元の出版物や、福井の文化や風土をあつかった本も並ぶ。
 
「置いてある本が地元のもの、というよりは、いかにも福井の本屋さんだなという雰囲気を大事にしたいと思っています。地元出身の作家さんは、もちろん特別扱いしたい。郷土棚はまだ完成していなくて、もっと濃厚なコーナーを目指しています」。
 
 勝木書店本店のむかいのビルには、全国チェーンの書店がテナントとして入っているのだが、やはりここは地元生まれの書店として郷土色を濃くしていきたいところだ。
 
 棚には、つくった書店員さんの思いが詰まっている。入荷してきた本を並べるのは人間で、何かしらの意図が反映されて、本はそこに並んでいる。本屋さんに来て、ただぼんやりと棚を眺めるだけでも心躍る体験だが、並べた人の意図に思いを馳せるとより刺激的だ。
 
 海東さんが目指しているのは、どんな本屋さんなのか。
 
「本を売るのが仕事なので、結果的に本が売れないとだめなんですが、なによりもこの仕事をやってて楽しいのは、おすすめした本を喜んでもらえたり、こちらが読んでおもしろかった本に対して似たような感情を抱いてもらうことなんですね。一方で、お客さんから揃えておいたほうがいい本とか、話題の本とかを教えてもらうことも多いです。
 店だけがひとり歩きするんじゃなくて、お客さんと情報をやりとりできる付き合いができるといいなと思っています。二の宮店で百科事典が売れていた頃ほど単純ではないことは、わかっているんですけど、やっぱりお客さんとの関係を深めていきたい。ポップがあまりに力作だったから買ってみたけど、おもしろかったよ。次のおすすめは何? とお客さんから聞かれたり、何かおすすめの本あったら仕入れてポップ書きますよ、とこちらからも提案したり。そうした関係が成り立つと思うんです」。
  

 
 この思いから、書店のお客さん、ひいては読者の人たちとの交流の場として、「福井駅前読書倶楽部」を昨年9月に発足させた。おもしろかった本を紹介しあったり、情報交換の場として続けていく予定だ。
 一方で、駅前再開発の問題は未だ不透明である。
 
「現在の建物は、かなり古くて老朽化がすすんでいますから、いずれ立て直さなくてはならないんです。問題は、次の新しい物件に入居できるかどうか。そのためには、相当な売上げがないと難しいでしょう。
 僕個人の思いとしては、福井駅前に地元の書店を残したい。近い将来、北陸新幹線が福井まで開通して県外からの観光客がいらっしゃるとして、降り立った駅前に福井らしさを体現する地元生まれの本屋がないというのは、文化都市とはいえないです」。
 
 本は、それがないと生きていけないというものではない。だが本がない生活は、草木も生えず乾ききった荒野である。できれば自分の故郷は、いつまでも実り豊かな肥沃な地であってほしい。

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過去の連載を読む

第1回 はじめに
第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)~
第3回 いくつかの転機~日野剛広さんの話(2)~
第4回 「良い本屋」ってなんだろう~日野剛広さんの話(3)~ ‎
第5回 はじめての本屋さん
第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)〜
第7回 時代が変わる、売り方も変わる〜海東正晴さんの話(2)〜
第8回 本とレコードに囲まれて〜海東正晴さんの話(3)〜


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第8回 本とレコードに囲まれて〜海東正晴さんの話(3)〜


 
 
 海東さんはいま、歴史時代小説を多く読んでいる。
 
「とくに江戸時代が好きです。人びとが遊びを工夫していて、いろいろな文化が生まれた豊かな時代だったと思います。
 吉川弘文館から出ている『日本随筆大成』という全集があるんですね。江戸時代のさまざまな身分の人が書いた随筆を集めたものです。古本でしか手に入らないんですけど、昭和54年に完結している版が案外安く見つかって買ってしまったんです……四六判函入で103巻もあるんですが。
 これをたまに引っ張り出してぱらぱら読んでいると、当時の歴史や風俗が伝わってくるんです。案外、有名な学者が書いたものより、農民や、書き人知らずの巻のほうがおもしろい。当時は身分制度が厳しかったとされていますが、必ずしも身分が低い人が虐げられていたわけでもないんじゃないかと思い始めたのは、この本にふれてからです」。
 
 30代から40代前半くらいまでは、時間の使い方が下手で休みの日でも仕事をしたり、自分が読書をする時間がとれないことが多かった。2週間、本を開かずにいたこともあったが、いまは毎日開く。いちばん本を欲して読んでいるという。
  
 幼いころは、本を最後まで読むことがなかなかできなかった。
 
「あきっぽかったんですね。中学3年までで、最後まで読んだ本は3冊くらいしかありません。そのうちの1冊は『宿題ひきうけ株式会社』という児童書で、これはおもしろくて必死に読みました。小学校3年生くらいのときです。
 中学で星新一を知り、高校では筒井康隆。おもに短編を読んでいたんですが、大学に入って友人の影響で海外ミステリーを読み始めると、はまりました。大学の勉強そっちのけです。『ミステリマガジン』(早川書房)はこのころからずっと買っていて、大学は京都にあったんですが、当時「京都書院」という本屋さんがあって、そこにうずたかく積んであったのを覚えています。今ではうちの店に1冊か2冊入ってくるくらいですけど……」。
 
 海外ミステリーに限らず、自分の想像の翼を広げて知らない世界を知る喜びが読書の醍醐味、と海東さんは思っている。大学で海外ミステリーにふれて、小説も読むようになったが、40代に近づくとフィクションから遠ざかり、司馬遼太郎の『街道をゆく』などの歴史ものやノンフィクションに傾向がうつってくる。
 
「40代のころは、フィクションはそれほど自分の役に立たないと思っていたんです。ああ楽しかった、で終わっちゃうんじゃないかって。でも最近は、心を動かされて、涙を流したりするのはすごく貴重な体験だと気づきました。親が死んだときでも泣けなかったのに、小説を読んで涙をぽろぽろ流す自分を発見して、ちょっとびっくりして。フィクションの世界の力は自分をリセットする力があります。
 50代になって両方読むようになりました。ノンフィクションは知識興味の対象で、どんどん深く掘り下げて専門書もたどっていく。小説の場合は資料片手に読むこともなく、リラックスしてその世界に没入していく。ときには夢にまでみるくらいに。その両方が読書の醍醐味としてあるんだなあと思います。年齢とともに本の受け取り方や感想は、どんどん変わっていきますよね。いまは何を読んでもおもしろいです」。
 
 海東さんの話を聞いていると、相当な蔵書家である様子が伝わってくる。『日本随筆大成』が103巻、『ミステリマガジン』が約40年分、そしてこのごろ『ブリタニカ百科事典』をネットオークションで1円で買ったという話題もあった。そうした「全集もの」以外にも、さまざまな本が群れをなしているはずだ。どのように収納しているのか、そしてご家族の目は冷たくないのか。
 
「1階のリビングと、自分の書斎はもういっぱいで、嫁さんの部屋にも置いて、天袋とか押し入れにも入れて……怒られてますよ、床が抜けるって。抜けないようにバランスよく配置していますけど」。
 
 そのバランスに安心してはいけない気もするが、さらにいえばコレクションは本だけではない。レコードもある。クラシック音楽、洋楽、邦楽、落語のレコード(志ん生全集!)などもあって、その数ざっと3000〜4000枚。作曲家別に並べているという。
 
「好きなのはベートーヴェンです。交響曲よりは、室内管弦楽のほうが好きですね。意外とオーケストラ専用の楽曲はそんなに多くなくて、チェロとピアノのための二重奏曲とか、そうした小規模管弦楽が多いんです。
 でもいちばんのヘビーローテーションは、『ツィゴイネルワイゼン』(サラサーテ作曲)。気分がのらないときに聴くと、よけいに落ち込んでくるんですが、不思議とそのあとすっきりします。この曲だけでも何枚もあって、演奏家によってだいぶ違うんですよね。それもまた楽しんでいます」。
 
 余談ではあるが、この原稿は『ツィゴイネルワイゼン』を延々とリピートしながら書いた。すらすら、とまではいかないが、背筋が伸びて、比較的集中して取り組むことができたように思う。

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第1回 はじめに
第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)~
第3回 いくつかの転機~日野剛広さんの話(2)~
第4回 「良い本屋」ってなんだろう~日野剛広さんの話(3)~ ‎
第5回 はじめての本屋さん
第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)〜
第7回 時代が変わる、売り方も変わる〜海東正晴さんの話(2)〜


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第7回 時代が変わる、売り方も変わる 〜海東正晴さんの話(2)


 
 
 人と人とのつながりで本が売れていた80年代を過ぎ90年代に入っても、売上げが目に見えて落ちるということはなかった。書店にとって福井はありがたい県なんです、と海東さんは話す。
 
「小・中・高校では、朝礼の前に15分〜30分、本を読む時間があるんです。『朝の読書』(あさどく)といって、基本的には何の本を読んでもいいんですが、課題図書もあって書店で売られていたり、書店が学校に納品したりしています。全国的にやっているみたいですけど、福井県はけっこうさかんですね。幼いころから本を読む習慣が身につきますし、そのおかげで読書の土壌がつくられているのかもしれません」
 
 調べてみると「朝の読書」は1988年に千葉県の高校で始まった取り組みで、そののち全国に広まっていったようだ。「朝の読書推進協議会」の調べでは、福井県の小中高での実施率は91%とあり(2019年1月調査)、全国トップの数字だ(全国平均は76%)。
 海東さんの話を聞いて初めて知った取り組みで、自分には経験がないが、子どものころに、毎日決まった時間に本を読む(たとえ「本を手にとる」だけであったとしても)時間をつくることは、大事なことと思う。少なくとも、読書に対して身構えることはなくなるような気がする。そうした土壌が、勝木書店や福井の他の書店を支えているのかもしれない。
 
 海東さんが二の宮店で働いていた時期は、ほぼ90年代、自身が30代のときだった。何もしなくても百科事典のような高額商品が売れていた時期を経て、店内の売場づくりに力を注ぐようになる。
 
「かつて、東京の池袋・西武百貨店の上に西武ブックセンターという書店がありました。のちのリブロの前身です。そこの本の並べ方は、売れている本をうずたかく積んでいたんですね。これはカルチャーショックでした。売れる本は、これだけ大量に積んであっても売り切ることができるんだなって。図書館とは明らかに違う光景だし、大きなポップや看板も置いてある。自分の店との落差をなんとかしたいと思いました。
 そこで、二の宮店の平台に真似をして積みました。倒れるかというくらい大量に。福井の人たちにとっても珍しかったのか、それらの本は売れたんですよね。講談社のブルーバックスシリーズの元素図鑑は、新刊ではなかったですが300冊くらい売りました。いちばん売れたのは、『磯野家の謎』(92年・飛鳥新社)です。うちの店舗だけで700冊を一度に仕入れようとして版元に驚かれ、でも入れてくれて、最終的には1200冊くらいを売りました。
 このときは、たくさん積むことが仕掛けだったんですよね。僕の流儀ではなくて、東京の流儀を取り入れただけですけど」
 
 二の宮店では、何か仕掛けをすればすぐに結果が出た。本店に勝ちたい一心で、売れるであろう本を探し、小さな出版社にも目を配り、一生懸命だった。だが一方で、自分の職業に疑問を感じる時期もあった。同じ年代が年収一千万円を超えたと聞けば、やはり心穏やかではない。30代のころは、お金をたくさん稼ぐ人がえらいと思っていた部分があって、人を羨む気持ちが強かった。だが年を経て、書店員の仕事を続けてきた末にたどり着いた境地がある。
 
「あきらめもありますよ。仕事にとられる時間がすごく長いし、お金が稼げるわけでもない。でも、いろいろな人を相手にして、毎日あたらしい書物に触れるから好奇心は衰えない。本というひとつのジャンルで、これほどたくさん種類がある商品って、そうはないんじゃないかと思うんです。
 書店員は全国にたくさんいますけど、それぞれ勧める本は違うはずだし、勧め方も違う。そう考えただけで楽しいでしょう? 自分がおすすめした本が売れれば最高に幸せだけど、一方で、アメンボだけの図鑑とか、クラゲだけの図鑑とか、想像もつかない本をお客さんがレジに持ってこられると、そのすごく細分化された世界を知れて人生の新たな発見だなって思う。毎日毎日が違うことを実感できる仕事なんです」
 
 海東さんは30代の終わりに二の宮店を離れ、本部の本の仕入れを担当する部署に異動になった。商品や店の管理、人事といった仕事にくわえて、社員の相談相手になったりもした。その後、金沢の支店にいき、現在の本店に戻ってきたのが、2018年6月のことだ。
 その間、出版業界では本が売れなくなり、その荒波にさらわれて日本各地の書店が姿を消した。久しぶりに戻ってきた本店は、駅前の大規模な再開発に取り込まれて閉店の危機にさらされている。本を売る現場は、20年前とは桁違いに厳しい状況に陥っていた。
 
「以前と違って、たくさん積んでも売れないものは売れない。それどころか、まず書店に足を運んでもらわないといけない。日々、何かをしていかないと現状維持すら難しいです。
 いま、だいじなのは一冊一冊をていねいに売ることかなと思い始めています。自分が最後まで読みこんだもので、ほんとうによかったという気持ちをポップに書いたり、お客さんとの会話で伝えたりしたい。人が本を読もうとするきっかけは、いろいろありますよね。だから店ではいろいろな面を出して、入口を開けておきたいんです。十人十色というくらいだから、せめて十くらいの口は開けておきたい。そのきっかけのひとつが、作家さんたちのサインだったわけですけど」
 
 再開発の話が出ている本店に戻ってきて、海東さんがまず思ったのは、店をなんとか盛り上げたいということだった。店の存続が不透明であるとしても、自分なりに力を尽くした形をつくりたい。手始めにツイッターのアカウントをつくって情報発信をはじめ、作家さんたちへ向けてサイン色紙を送ってくれるようにお願いした。
 

 
「売場を変えたいという気持ちからでした。ある程度、炎上や批判は覚悟の上で、ほんとうにサインを送ってくれる作家さんがいたらありがたいなと思っていたら、二週間くらいで60人ほどが集まり、いまは150枚を越えました(2019年1月時点)。
 お客さんの数や売上げが増えたわけではないんですが、店に見に来てくれて写真撮ってもいいですかという方は、ずいぶんいらっしゃいました。来てくださるのは地元の方なので、反響はあったと思っています。
 一方で、なんて偉そうな本屋なんだ、あやまれ、といったメールもいただきました。こちらから返信もしましたけど、絶対服従しか認めないんですね……」
 
 取材時には、サイン色紙は階段の壁や3階の売場に、作家さんたちの名前と共に貼られていた。小説家、漫画家、イラストレーターと業種もさまざま、色紙の大きさもさまざま。福井の思い出や、駅前書店に対する思いなどが書かれている色紙もあって、それぞれが店への手紙であり応援歌のようだった。ツイッターでお願いしたことや、もっとやりようがあるだろうという批判の声もわかる。だが、そうしたもやもやとした感情をすっ飛ばした先に、誰も見たことがない光景が広がっている。
 
「ほんとうに、ありがたいです。今後、色紙が増えていっても1枚1枚を忘れてはいけないし、ていねいに飾ろうと思う。いろいろな思いがあって送ってくれて、一種の特別な関係になれたので、これからすこしでも作家さんたちの力になれるようにしたいです」

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第1回 はじめに
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第5回 はじめての本屋さん
第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)〜


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屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)


 
 
 海東正晴さんが勝木書店に入社したのは、1985年のことだ。
 それより以前、大学を卒業してすぐに入ったのは、メガネフレームを製造・販売している会社だった。福井県は、鯖江市や福井市を中心にメガネフレームの一大産地で、国産フレームのおよそ95%を生産している。原材料や部品、製造機械、表面処理など数百ものメガネ関連会社があるなかで、海東さんが入社したのは比較的大きな老舗の会社だった。
 
「ひとりの人の手で完成品に近いものをつくる、そうした職人の仕事に憧れていました。メガネの製造過程は流れ作業ではあるんですが、機械に依存しないので、磨き作業にすごく長けている人とか、個人の力量によるところが大きいんですね。
 入社してまず、研修期間でメガネをいちからつくってみることを学んで、次に修理部署に回されました。どんなに壊れたメガネでも直すという会社だったので、仕事はおもしろかったんですが、古い体質の会社で新しいことをやりたがらない風潮だったんです。仕事がわかってくると、ああしたいこうしたいという欲求が出てきたんですけど、おとなしくしているように言われて、それが合わなくて1年半くらいで辞めました」
 
 辞めたはいいが、食い扶持は稼がねばならない。次の働き先を探して、福井市内のよく行っていた書店をたずねるが、いまは募集していないと断られる。そこで勝木書店にねらいを定め、書店で働きたい、自分が入ったらこんなことができる、と社長宛に手紙を書いた。そうして退社から一週間くらいで転職に成功し、書店員となった。26歳のときである。
 
 現在、勝木書店は福井県内だけでなく、石川県や関東地方にもグループ店をもつが、海東さんが入社した当時はまだ県内に3〜4店舗しかなかった。社員も少なく、定期採用で入ったわけでもなかったので、とりたてて研修というものもない。本店や支店で「見よう見まねというよりは、指示されたことをやって」、次の年に担当になったのが、二の宮店だった。この店で好きなようにやっていいと、ある意味ほったらかしにされたことで、あらゆる試行錯誤を重ね、のちに13年間、店長を務めることになる。
 

 
 二の宮店は、福井駅から車で10分ほどのところ、幹線道路沿いの住宅地にあった。今は「新二の宮店」として近くに移転していて、当時の場所にはない。海東さんの家は、この店から徒歩10分くらいのところにあり、トレーニングがわりに走って通っていたこともあったという。
 
「本がよく売れる時代でした。百科事典はずいぶん売りましたよ。出版社がチラシを入れてくれるので、朝からばんばん電話がかかってきました。店頭に来られたお客さんにもどんどんすすめて、自分ひとりで1日に20セットくらい売ったこともあります」
 
 百科事典が飛ぶように売れたという、今では書店業界で都市伝説のように語り継がれている話を実際に体験した人を前にして、思わず息をのむ。
 
「いちばん多かったのは、嫁入り道具としてでした。女性も大卒が増えてきて、そうした女性たちが百科事典を持参して嫁入りというのは様になったんだと思います。きちんとしたお洒落な身なりのお母さんと娘さんが一緒に来られることが多かったです。あとはお孫さんへの贈りもの。百科事典がひとつのステータスだったんですね」
 
 80年代の福井の結婚式は、なかなか豪勢だった。家具や家電などをぎっしり積んで嫁ぎ先へ運ぶ紅白幕を付けた大型トラック(後年、中身を見せるためにガラス張りになる)をよく道で見かけたし、新郎宅の屋根から紅白饅頭を投げる“饅頭まき”に紛れ込んで、一心不乱に拾った記憶がある。あのめでたいトラックの中に百科事典が積まれていたのだろう。だが、多くの場合はページを開かれることなく、部屋の装飾品として使命を終えた気がする。
 
「百科事典だけでも20数万円したんですが、嫁入り道具として100万円くらいで本をみつくろってくれと言われたこともありました。当時は文学全集もたくさん発行されていましたからね。ありがたい話でした」
 
 いったいどこの富豪の話だと耳を疑う。100万円分、自分だったら何を選ぶだろうと考え始めると、自分で自分の思考に追いつけなくなる。
 
「二の宮店にいたころは、こちらはお客さんの顔を覚えているし、お客さんもこちらのことを知っている。よくあったのは、のし袋の宛名を書いてほしいという依頼です。僕だって上手いわけではないんですが、けっこう字を書くのが苦手な方が多かったんですね。口コミで広がって、息子さんへの手紙の代筆までやったことがあります。買った本を送りたいと言われて、送料は書店もちで発送したこともありました。
 一方で、当時は販売のノルマがあることもあったんです。1冊3〜4万円くらいする地名辞典とかです。外商部が図書館を回ったりするんですが、店頭でもひとり10冊売らなきゃいけないという……。それで顔見知りのお客さんに声をかけると、そんなに困ってるんなら買ってあげるわよって、3冊も買ってくれたことがありました。離れたところに住んでいる息子さんが3人いるから送る、と。そういう時代だったんですよね」
 
 1冊3万円とまではいかずとも、新刊が出ると自分でチラシをつくって近隣の家を回ったこともあったという。ポストに入れるだけでなく、在宅していたら玄関をあけて話をする。たいていは断られるが、なかには後から店に来て、あまり売れていない様子だと買ってくれたりした。
 
「あのころは、店とお客さんが毎日顔を合わせて天気の話をしたり、近所づきあいみたいにしてつながっていたんですね。お客さんが必ず買う作家やジャンルの本がわかっているから、店側で一生懸命調べて棚に揃えるんです。今みたいにすぐ検索できるわけじゃないから、わかる範囲で調べて。するとごっそり20〜30冊くらい買っていってくれる。そして次はこんな本がほしいと言ってくれる。そうやって頼ってくださる人もいて、信頼関係が成り立っていました」
 
 地方だからなのか、時代の違いなのか、どちらもなのか、海東さんが話す当時の勝木書店は、本屋さんとお客さんの関係がかなり濃密だ。そして動く金額の桁が違う。
「でもいまは、こういう人間関係でものを売る時代じゃなくなってきたんだと思います」と海東さんは話す。では、どうやって本を売っていくのか。

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第1回 はじめに
第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)~
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第5回 はじめての本屋さん


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屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

第五回 はじめての本屋さん


 
 
 18歳の春まで福井で暮らした。
 父は読書家で、家には夏目漱石や高橋和巳の全集をはじめ、大江健三郎、黒井千次、堀田善衛、柴田翔といった作家たちの本が、壁一面の本棚にぎっしり詰まっていた。給料日はすこし帰りが遅く、福井大学の生協でじっくり選んで買った本を抱えて満面の笑みで帰ってくるのだった。
 当然の流れとして、両親は惜しみなく娘に本を買い与えるのだが、そのほとんどが岩波書店の本で、幼少時のわたしは、「読書とは格調高く、襟を正して行うもの」と刷り込まれることになる。本棚にあった『漱石全集』の函に、軽い気持ちで油性マジックで落書きをして、この世の終わりかと思う勢いで怒られたことも、刷り込みに輪をかけた。あの怒りは当然だと今ならわかる。
 かといって、わたしは父のような読書家にはならなかった。当時、熱心に読んだのは、家族3人でまわし読みした庄野潤三(『明夫と良二』がはじめだった)と藤沢周平くらいで、さらに熱を入れて読んだのは漫画で、『サスケ』(白土三平)、『パタリロ!』(魔夜峰央)、『BANANA FISH』(吉田秋生)。高橋和巳や大江健三郎には行き着かなかった。行き着けなかったというべきか。
 
 
 わたしが通っていた高校は、福井駅から歩いて15分ほどのところにあった。自宅から駅まではバスで30分。駅前から自宅方面へ向かう路線のバス停は、ちょうど勝木書店という本屋さんの目の前だった。田舎のバスは本数も少なく、高校からの帰り道、ほとんど毎日その本屋さんへ立ち寄って、時間をつぶした。
 自宅は山と川にはさまれた辺境の地にあり、徒歩圏内には「よろずや」という小さな商店があるだけで書店はない。高校に通うようになってはじめて、自分の足で書店に行くことができるようになったのだ。1時間に2本のバスを待つ時間つぶし、というよりは、立ち読みで時を忘れたといったほうがいいかもしれない。勝木書店はわたしにとって、はじめての本屋さんだった。
 駅前の本店は当時、1階に文庫、雑誌、文芸、2階は哲学、法律、社会科学など、3階が学参とコミックで、巡回するのはおもに1階と3階だ。
 1階の文芸棚では、村上春樹に出会った。父が美麗な函入りの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を買ってきていたが、冒頭部分、「エレベーターにただ乗っているシーンが延々と続いて話がちっともはじまらない」と早々に挫折していて、読書家の父にとってさえ難解な小説を書く人と思っていた。
 だが、店頭でみかけた『村上朝日堂の逆襲』は安西水丸さんの絵の表紙で親しみやすそうだし、中身も読みやすい。というより、ものすごくおもしろい。襟を正さない読書の初体験である。エッセイの話題も、青山通りでVANのコットンスーツを買ったり、神宮球場にヤクルト・スワローズの試合を観に行ったり、ウィットに富んだ比喩がちりばめられたりしている。これが東京だと思った。夜、ネオンや街のあかりが雲に反射して金色に輝いている新宿というところへ、行ってみたいと思った。
 3階では、参考書をみるふりをしてほとんど漫画を読んでいた。当時はシュリンクがかかっていないから読み放題である。友人と一緒に来て、ただひたすら無言で立ち読み、「わたしは『BANANA FISH』買うから、○○ちゃんは『ぼくの地球を守って』買って、交換しよう」というような契約を結んだりした。隣の学参売場では、ときどきは参考書も買ったし、大学受験のときには過去問が載っている通称“赤本”を、受験する大学・学部の数だけ買った。3階のフロアは、壁に沿った棚と中央の平台というシンプルなレイアウトで、とくに漫画の巨大な平台に縦横みっちり美しくカラフルな表紙が並ぶさまは、大波小波がうちよせる浜辺のようだった。
  

 
 運良く東京の大学に入って福井を離れると、勝木書店からは足が遠のいた。福井へ帰ってきたときも、駅と実家を行き来するだけで立ち寄ることがないまま時が過ぎる。
 ふと思い立って店に入ってみたのが4年前。棚の配置、カーブした階段、鈍く光る木の手すり。あまりにも当時の記憶のままで、いきおい3階にかけ上がり、漫画の平台の前で涙ぐむ。本屋さんは、いつもそこにある。いつもそこにあることが、ありがたい。
 以来、福井へ帰るたびに立ち寄るようにしていた。
 だが2018年7月、ツイッターでこんなツイートが流れてきた。
 
 
ーー実は駅前の再開発にのまれて、店の存続があやしくなってきています。作家の皆さんに図々しいお願いです。盛り上げるためにサイン色紙をください。壁一面埋めたいと思います。店をなくさないように、福井の人からより一層愛される店になるように、色々やっていきます。
 
 
 勝木書店本店の店長のツイートだった。
 経過をみていると、作家さんたちが色紙を送ってくれている一方で、ツイッターの常として炎上もしている。わたしは、自分の“はじめての本屋さん”として、話を聞きたいと思った。炎上とか、再開発とかの前に、勝木書店でいま働いている人の話を聞いておきたい。
 9月、よく晴れた日、店長の海東正晴さんを訪ね、2日間にわたってお話を聞いた。

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第2回 いま、本屋を一からやり直している~日野剛広さんの話(1)~
第3回 いくつかの転機~日野剛広さんの話(2)~
第4回 「良い本屋」ってなんだろう~日野剛広さんの話(3)~ ‎


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屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

「良い本屋」ってなんだろう〜日野剛広さんの話(3)〜


 
 ときわ書房志津ステーション店では、2018年2月から3月にかけて、東日本大震災をテーマにしたフェアを開催した。
「被災者の体験を読む」というくくりで本を選び、日野さんは良い本を揃えられたという自負があった。ツイッターでも評判になり、選書した本の作家さんからも御礼のリプライが届いたりした。
 
「でも売れ行きはまったく駄目でした。フェアの売上げ目標金額には程遠い結果で。こちらとしては、ぜひ読んでもらいたいという思いは強かったんですが、結果が出ない。良い本を揃えたところで手に取ってもらわないと何の意味もないんです。展示会をやっているわけじゃないので。
 ここで諦めて売れ筋ばかりを揃えるのもいいんですが、一方で、このフェアで扱ったような本を売る方法を模索していて、いま煮詰まっているところです。見ておしまい、購入に至らないというのは、なんらかの原因があるはずなんです。売れる実績をつくって、認められることに書店の意義がある」
 
 ツイッターなどのSNSで反応してくれるのは、必ずしも地元のお客さんではない。どちらかといえば、遠方に住む本好きの人だ。店のツイッターアカウントを開設して以来、全国から来てくれるのは、とてもありがたいと思う一方で、自分たちがほんとうにターゲットにしなくてはならないのは、地元のお客さんだとも思っている。
 
「遠方からわざわざうちの店に来てくださるのは、とても嬉しいんですが、やはり何回もは無理でしょう。正直なところ、地元の人に、ふだん使いとして来ていただかないと売上げが立たない面があります。まず地元の人に店の存在を知ってもらって、どんな品揃えなのかを見てもらう。逆に、がっかりさせてしまうこともあるはずです。それは背中合わせですね。震災のフェアに並ぶような本以前に、話題の新刊がちゃんとあるのか、と」
 
 店は志津駅と直結した6階建てのビルの3階にある。改札と同じ階にあるから地元の人ならば知らない人はいないだろうと思うが、駅を利用しない人にとってはなかなか見つけにくいかもしれない。というのも、ビルの1〜2階はパチンコ店で、外観はパチンコ店の巨大なビルのように見えるのだ。外側からみると、中に書店があるような雰囲気ではない。
 駅ビルの周辺は、マンションが多く建っている。人口は少なくないはずで、だからこそ店を認知してもらって、日常的に来てもらうことに力を注ぎたいと日野さんは思っている。
 

 
 最近は、空いた時間や休みの日に、他の店を訪れることが多くなった。
 
「どうしても同業者目線で見てしまって、刺激を受けたり嫉妬するお店はいっぱいあります。
 2018年2月に閉店した代々木上原の幸福書房さんは、初めてうかがったのが3年前。うちの店では海外文学が売れなくて売場を縮小していたんですが、あの棚を見て、ちゃんと手をかければ棚は生きてくると気づいた。
 要は商品の仕入れなんですよね。幸福書房さんは単行本を2冊、棚にさすことで知られていましたが、いつ行ってもすごくきれいなんです。本が輝いているとか、そういうオカルトの話じゃなくて、ほんとうにきれいな本が並んでいて、それが購買欲をそそられる。ものが揃っていて、きれいな形で並べる。そうした基本的なことが自分はできていなかったと反省しました」
 
「良い本屋」というのは、いろいろな意味があるし、人によっても違う。ベストセラーが揃っていないと認めないという人もいるだろうし、そこには興味はなくて、自分が知らない世界をみたいという人もいる。だから書店の形はさまざまで、それぞれの持ち味がある。
 
「本屋像を固めてはいけないと思うんです。いろいろな思いをしている書店員がいるなかで、自分の経験から書店はこうあるべきだと決めつけるのはよくない。
 売上げを上げないと店が存続できないという大前提がまずあり、儲けを優先して売れる本だけを置く、人を減らして効率化をはかる、という方針を会社から要求されることもあるでしょう。でもたとえば人が減って店のオペレーションが破綻し、売場はがたがたになり、自分が希望する品揃えをする余力もないという書店員もいっぱいいると思う。現場が自分の頭で考えて売場をつくるのが大事だと思うけど、諸事情でできない場合もある。
 いろいろな本屋があってしかるべきで、その存在を尊重しあってやっていかないと、豊かさが広がっていかないなと感じることがあります」
 

 
 以前は、日野さんも「書店とはこうあるべき」と考えていたことがあったという。各地の本屋さんを見て回り、最近になってそうした固定観念が崩され、どんな本屋でもいいじゃないかと思うようになった。
 
「僕はいま、店舗責任者という立場で会社からある程度の裁量を持たされているから、恵まれているほうだと思うんです。あくまで比較の話ですが。
 自分が望む切実な選書に時間を割いて力を注ぐことができている。でも一方で、自分のやりたいことに注力しすぎて、ほかの、たとえば実用書の分野は後回しになってしまっている。これは非常によくないです。時間を区切ってやるとか、自分なりのシステムを構築しなきゃいけないと思っています」
 
 人手が足りないとか、すべてのジャンルを把握しきれないとか、売上げが思うように上向かないとか、そういったすぐには解決できそうもないことに対して絶望していますか? 恐る恐る聞く。
 
「そこまででは……絶望している暇もないというか。以前は好きでもないことをやらなきゃいけないと思っていましたが、いまは少なくとも好きなことはできていますからね。だからといって希望があるわけでもないです。
 先細りなことは間違いないでしょうけど、角度を変えてがんばっている若い人たちもいます。僕はこのままチェーンの書店の中で、ときわ書房でやっていくというのが、いまやりたいことです。うちのお店は、まだまだできていませんからね。未完成です」
 
 日野さんのなかには到達点はありますか?
 
「わからないです。なにをもって到達点とするかは。売上げ目標はありますが、それをクリアしたらOKという話でもないですし。死ぬまでわからないかもしれません」。
 
 絶望はしていないが希望があるわけでもない。行き着く先も定かではない。でも日野さんは、すくなくとも自分が戦うべき場所は見つけた。そこに光が差している。

 ( 毎月第4水曜更新 )


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

いくつかの転機〜日野剛広さんの話(2)〜


 
「物心ついてからは音楽一辺倒で、本もそれほど読まず、どうして書店員になったのか不思議に思うでしょうが、きっかけはあります」。
 
 日野さんは、亜細亜大学法学部に入学する。そこに短期留学プログラムがあった。アメリカ・ワシントン州の提携する大学への派遣留学で、期間は5ヶ月。日本から70人くらいで行き、寮で生活する。現地に日本人スタッフはおらず、授業はすべて英語だった。
 
「当時そこに、美しいブロンドの先生がいらっしゃいました。歳は8つくらい上だったと思うんですが、ようするに僕は彼女に惚れてしまったんですね。恋は英語を上達させました。今ではすっかり忘れてしまいましたが。最後の1ヶ月になると、もうすぐ帰国だというセンチメンタリズムもあり、先生をデートに誘ったんです。そうしたらなんとOKしてくれて! ドライブに行きました。運転は先生がするというマヌケな話なんですが。
 大学があったのはワシントン州でシアトルの次に大きい街であるスポケーンの近く、チニーという小さな街で、先生はショッピングモールの中にある本屋に連れていってくれたんです。とても魅力的な店で、ここで先生は1冊の本を薦めてくれました。原題で『The Giving Tree』(シェル・シルヴァスタイン・著)という本で、日本だと『大きな木』(村上春樹・訳)というタイトルです。ギビングツリーという書名のとおり、人に与え続けることがテーマの絵本なんですが、英語が未熟な僕でも内容にえらく感銘を受けて、帰国したら本屋でバイトしようって思ったんです」。
 
 9月に帰国すると、日野さんはさっそく書店アルバイトの募集を探す。当時の実家が谷津(習志野市)だったため、近隣で見つけたのが船橋駅前のときわ書房。応募してみごと採用され、書店員生活がはじまった。
 船橋本店で3年アルバイトとして働き、大学を卒業して、ときわ書房に就職する。1993年、25歳のときだ。
 
「はじめは雑誌の担当でした。現在はすこし勝手が違いますが、当時は雑誌は毎月の売上げが安定しているから予測が立てやすいジャンルだったんです。世間の情報がダイレクトに取り上げられているので、売り伸ばし方も鍛えられます」。
  
 書店員の仕事で「担当になる」とは、仕入れ担当になることだ。膨大な量の出版物の中から自分の才覚で入荷するものを選び、冊数を決め、並べ方を考える。さらに、棚の乱れた並びを整え、ポップ(本の内容や推しポイントを書いた小さな紙片)をつくるなど、お客さんの目に止まりやすいように工夫をする。それが「棚をつくる」ということだ。
 一般的には、取次会社がそれまでの実績(どんな本をどれくらい売ったか)を勘案して、それぞれの書店への出荷数を決める「パターン配本」という形がとられている。だが、その「パターン配本」を見越して、さらに入荷数を増やしたり、配本では入ってこない本を注文したりするのが、書店員の重要な仕事のひとつといえる。
 雑誌・文庫・文芸・実用書・学習参考書・コミック・児童書といったジャンルによって、棚をつくる手法は変わってくる。自分の担当が変われば、そのジャンルの傾向と対策を練らねばならない。毎日入荷してくる相当数の新刊を売場に出すことに加え、出版社それぞれの特長を知り、テレビ放映で取り上げられたり映像化されるなどで需要が高まる本をいち早く注文・陳列するなど、日々の仕事は山積みだ。そして本は重い。書店員はかなりの激務である。
 
 日野さんは、書店で働きはじめたからといって本が好きになったわけでもなかった。
 
「雑誌担当のときも、音楽雑誌やディスクガイドなどには興味をもてるんですけど、あいかわらず読みものはあまり好きじゃない。書店員といえば本好き、本好きといえば文芸書、というイメージからはかけ離れていました。
 若い頃は休みの日に他の書店を見に行くということもいっさいなく、ディスクユニオンとタワーレコードを往復して、お金は全部CDやコンサートチケットに使っていました。音楽が最優先事項。主に洋楽です。
 10代の頃はローリング・ストーンズやブラックミュージックの良さが理解できなかったんですが、留学中にブルースやソウルに触れて好みが変わりました。大学在学中はストーンズにどっぷりはまり、サークルではコピーバンドもやっていました。バイトを始めてCDも買えるようになったので、過去の名作を買い漁り、追体験で60~70年代ロックを聞きまくりましたね。
 でも基本はニューウェイブ、オルタナティブロックが好きなので、90年代にリアルタイムで聞いていたのは、THE STONE ROSES、SUEDE、OASIS、PRIMAL SCREAM、RADIOHEAD、PEARL JAM、そしてMASSIVE ATTACKなどです。THE SMITHSは10代の時に解散しちゃったので追体験です」。
 
 音楽の話になると、日野さんの目が熱を帯びて輝きはじめる。言葉があふれ出る。
 
「国内だとまずBLANKEY JET CITY。青春そのものでした。他にBOOM BOOM SATELLITES、Buffalo Daughter、ニューエスト・モデル、エレファントカシマシなど。
 でも振り返って一番好きなのはBLOODTHIRSTY BUTCHERS! 
 私にとって、もっとも大事なバンドです。フロントマンだった吉村秀樹氏が亡くなってしまい、いまは事実上の活動停止状態なのですが、彼らの『kocorono』(1996年)こそが、無人島に持っていきたい1枚です。アルバム収録の「7月」という曲、この曲の素晴らしさを共有できない人とは友達にはなれませんね」。
 
 勢いは止まらない。
 もちろん野外フェスにも、よく行った。
 
「サマーソニックは毎年のように行きました。第一回のフジロックにも行きましたよ。Red Hot Chili Peppers目当てで。台風の大雨で帰りのシャトルバスがぜんぜん来なくて、4時間くらいかけて山を下りて始発で帰り、仮眠して15時から仕事しました。なかなか貴重な良い思い出です」。
 

 
 一方で、ちょっとした転機もあった。
 
 市川FMという地方局からの依頼で、ときわ書房の3人の書店員で、毎週、本のレビューをすることになったのだ。
 
「このラジオの仕事をきっかけに、本を読むようになりました。番組はあまり長く続かなかったし、終わったらまた読まなくなるんですが、本に対する意識がすこし変わった気がします。阿部和重、重松清、金城一紀などを読み始めました。
 そしてこのころから、漫画をぱったり読まなくなりました。それまでもそんなに読んでいたわけではなくて、『北斗の拳』目当てでジャンプを読み始めたのが高校生で、『魁!!男塾』とか『ジョジョの奇妙な冒険』とか、バイオレントなものをよく読んでいました。書店員になってからもアフタヌーンで『寄生獣』や『地雷震』を読んでいたんですが、30歳を過ぎたあたりから読む気がなくなって……自分でも理由がわからないんですが」。
 
 ときわ書房で働いて28年、「書店員としては死んでいた」時期を経て、自覚を強くもって仕事を見つめはじめた今、自分がこの職業に向いていると思うかどうか、聞いてみた。愚問とは感じながらも。
 
「ふたつの側面があると思うんですね。選書やバイタリティーを発揮するという側面でいうならば、僕は天職として考えたいです。もうひとつ、商売人という側面では向いていない。
 たとえば、アイドルの写真集とか、付録つきの女性誌とか、売れるであろうものは必死で手配すべきなんでしょうけど、そこに労力を割くのが苦痛なんです。かなり嫌々やってます……。商売には向いていないですよね。
 でも、品揃えやフェア企画のことを考えるときは、収入度外視ではなく、店を存続するために、お客さんに来てもらうために策を練っていて、さすがに道楽でやっているわけじゃない。それに自分の好きなものだけを揃えた世界は、はたして楽しいだろうか、とも考えます。商売の下世話さをもちつつやっていくことに面白さがあって、だから本屋で働いているのかなあと思います」。

 ( 毎月第4水曜更新 )


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

いま、本屋を一からやり直している〜日野剛広さんの話(1)〜

 東京都心から京成電鉄に乗っておよそ1時間、志津駅に降り立つ。住所は千葉県佐倉市。平日の昼間、人の行き来は少なく、駅の自動改札を通るときのカード認識音が妙に響く。駅はショッピングビルと直結していて、その3階に「ときわ書房志津ステーションビル店」がある。改札から歩いて1分とかからない。
 
 この本屋さんを知ったのは、ツイッターだった。
 2017年3月に『東京こだわりブックショップ地図』という本を上梓し、自著が本屋さんにどのように受け止められているのか気になって、書店や書店員アカウントを探しまくった時期があった。いわゆるエゴサーチというやつである。
 書店アカウントは新刊情報など表向きのつぶやきが多いのに対して、書店員さん個人のアカウントは正直な心の叫びが多く、店で働くなかでの日々の悩み、逡巡、ときに怒り、あきらめ、とまどい、といったものが真に迫っていた。自著のなかで、「書店員さんの試行錯誤をしつこく文字にしていきたい」と書いたのが恥ずかしい、自分はなんにもわかっちゃいなかった、と思った。
 なかでも、雑誌などで取り上げられることは少ないが、長く街に根付いて地元の人しか知らないようなお店で働く人の声が、心に残った。そのなかのひとりが、日野剛広さん。ときわ書房志津ステーションビル店の店長である。
 

 
 日野さんは書店員になって28年になる。
「ときわ書房の船橋本店でアルバイトをはじめたのが22歳のときで、大学を卒業して1993年に入社、社員になりました。だから四半世紀以上、書店員をやっていることになるんですが、その自覚を強くもちはじめたのは、ここ2〜3年です。それまでは極端なことを言えば、書店員としては死んでいました。やっといま、本屋を一からやり直しているんです」
 
 自分はなぜ書店員をやっているのか、そうした職業的自覚をもちはじめたきっかけは何だったのだろう。今から2〜3年前に何があったのか。
 
「僕が志津店に異動になったのは2013年1月でした。その前は八千代台店に13年。かなり長くいたんですが、自分の仕事に行き詰まりを感じていた時期でもあったんですね。かといって志津店に異動してきてリフレッシュできたわけでもなく、なんとなく日常を引きずったままで、むしろ環境が変わったストレスが大きくて。
 正社員は僕ひとりだから、書籍、雑誌、コミックといった各ジャンルをひとりでみていかなきゃならないし、CDも扱っている。いちばん困ったのはコミックです。それまで担当したことがなかったし、片手間でできるジャンルでもない。僕はバランスが良くない人間なので、なんだか作業ばっかりしていて考える余地がない感じでした。
 さすがにやりきれなくて、CDやコミック、児童書を担当するパートやアルバイトが入って、任せるようにして、すこし気持ちに余裕ができた。それが2015年くらいです」
 
「それと、世の中が急速に悪くなってきたでしょう? 貧困の問題があるし、ヘイトスピーチは野放しだし、2015年には安保法制(平和安全法制関連2法)の可決(2016年施行)、2017年には共謀罪(テロ等準備罪を新設した改正組織犯罪処罰法)が施行されたし、なにより嫌韓本の問題がある。
 この急激な変化は、書店員として、どういう立ち位置でいるかということを考えるきっかけになりました。本屋で何ができるんだろうって」
 
 ツイッターでの日野さん個人のアカウントや、日野さんがつぶやくお店のアカウントでは、積極的に、ときに熱情をもって、現在の政権や世情に対しての批判を発言している。現状に対する自分の思いを飲み込んで静観するという、波風が立たない穏当な方法を選ばず、己の立ち位置を、その逡巡も含めて、ツイッターで表明しているところに、書店員をやり直している日野さんの意思と覚悟を、わたしは感じている。
 店内をじっくり見ていくと、人文書やノンフィクションの棚に、ひときわ熱量を感じる。ノンフィクションの新刊、既刊が並ぶ横に、憲法、レイシズム、戦争関連の本が続いていく。日野さんが担当している棚だ。
 
「ノンフィクションは現実をテーマにしていて、いまほんとうに読んでもらいたい切実な本というのは、ここなんじゃないかと思っています。もちろん実用書や小説を軽視しているわけではなくて、自分のなかでは、ということですが。
 一方、憲法の本は、いまの時代、ある意味ノンフィクションであって真剣に考えていかなくてはいけない問題ですから、中心的分野にしていきたい。『鉄筆』という出版社の『日本国憲法 9条に込められた魂』という本があって、憲法作成に携わった幣原喜重郎首相が9条を制定するいきさつと、本人の考察が書かれているんです。この本を中心に据えて売るために関連書で固めていったのが、あの棚です。
 一冊の本があって、それを核にして、いろいろ選書していく。そういう関連づけた並べ方は手にとりやすいと思いますし、自分でやるのも好きです」
 
 棚の並びを見ると、本の関連づけに無理がなくスムーズに自分の思考が流れていくのを感じる。日野さんは、さぞや読書家なんだろうと思った。
 でも「とんでもない!」と笑う。「とくに人文書の分野は、哲学思想などを勉強しているわけではなく、はったりで並べているようなものです。いやもう、はったりだらけですよ。はったりをうまく形にするのは、若いときから案外得意なほうだったかもしれません。鋭い人にはもちろん見透かされるんですが」。
「幼いときは、本が嫌いというか、読みものが苦手でした」と日野さんは話す。
 
「幼稚園のときは鉄道が大好きで、将来は電車の運転手になりたかったんです。当時は大阪の阪急電車の沿線に住んでいて、阪急も好きでしたが、特急の名前とヘッドマークを熱心に覚えましたね。折込広告の裏に自分で考えた空想の路線図を書いたり。地図や時刻表、あと図鑑を愛読していました。
 当時は、物語を最後まで読み切れなかったんですが、図解や絵と解説文で成り立っている図鑑は好きでした。鉄道のほかにも、動物や昆虫の図鑑も好きで、やたらと固有名詞ばっかり覚える子どもではありましたね」。
 
 クラスに同好の士がいたこともあって、小学校4〜5年生くらいまでは鉄道好きが続く。大きな転換期を迎えるのは、小学6年生のときだ。
 
「YMOです。忘れもしない、フジカセットのCMですよ。メンバー3人が出てきて『テクノポリス』が流れるやつ。見て一瞬で心を奪われました。小学6年生のときに『ライディーン』が出て、正確には前年のレコードに入っていた曲なんですが、あれで火が付いた。母親は男が化粧するなんて言語道断だって顔をしかめるし、部屋に貼っていたポスターをはがしなさい! って言われたり。どこか踏み込んではいけないようないかがわしさに惹かれたのかもしれません。ともかくYMOが人生を踏み外したきっかけです」。
 
 中学に入ると、YMOから洋楽へと興味がうつっていく。
 
「中学2年のとき、僕は学研から出ていた『サウンドール』というYMOをフィーチャーしている雑誌を少ない小遣いで毎月買っていました。同じクラスに野球部のエースで不良の小林君という子がいて、彼は洋楽派で『ミュージック・ライフ』(シンコー・ミュージック)を買っていた。で、互いに貸し借りをしたりして仲良くなったんです。JAPANとかデュラン・デュランとかカルチャークラブとか、ブリティッシュ・インヴェイジョンといわれるイギリス勢が人気があった時期ですね。83年にYMOが解散しちゃったこともあって、洋楽に傾倒していきました」。
 
 小林君とは、音楽を通じてかなり意気投合したが、その後の連絡はとっていなくて、どこで何をしているのかはわからない。
 日野さんはのちにバンドを組み(ボーカル担当)、大学を卒業してからもバンドを続けたいがために時間が比較的自由になりそうな公務員試験を受けるも結果ははかばかしくなく、書店に就職することになる。

 ( 毎月第4水曜更新 )


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

はじめに

2017年3月に『東京こだわりブックショップ地図』という本を上梓しました。月刊『散歩の達人』に9年半にわたって連載したものをまとめたもので、その連載では毎月、新刊、古書を問わず街の小さな本屋さんを紹介していました。
開店したばかりのお店、2代目が継いでいるお店、取材して掲載したのち、あまり年月を経ずに閉店してしまったお店、それぞれのお店に歴史がありました。
毎月、店主や書店員さんに会いに行って1時間ほどお話を聞き、店内をじっくり拝見し、滞在時間はいつも2時間ほど。心の底から満たされる時間でした。当たり前のことですが、同じ店はふたつとなく、たとえ店主に憧れの店があって、自分の店をそれに近づけようとしていても、店主自身の色は消すことはできないように見えました。
 

 
お店を紹介することは、そこで働く人の言葉を伝えることだと思っています。
 
——取材していて感じるのは、書店で働く人は、いつも迷っているということだ。(中略)悩みはつきることがない。この試行錯誤に、わたしはいつも心を動かされる。そして、その試行錯誤の数々を、しつこく文字にしてきたいと思った。——
 
本のまえがきに、このように書きました。
いわゆる書店紹介をテーマにした書籍や、雑誌の特集が量産されるなか、自分の寄って立つ先はここにあるように思ったからです。とはいえ、この目標を本で達成できたとは思えないし、そもそも読む人はおもしろいのか、さらには書店員さんは「書店紹介の記事」についてどう思っているのか……。
本を出してからというもの、こうした疑問と焦燥がぐるぐると渦巻きました。
 
本屋さんは楽しい! だからもっと本屋さんへ行こう! という意見に異論を唱える人は少ないと思います。わたしの本に限らず、世の書店紹介はほとんどがこの論調です。そうした本や雑誌が、実際に本屋さんで売られているわけです。
量産されるということは、まるで売れないわけではないようだけれど、実際はこうした本を出版する側と、読む側と、売る本屋さん側では、思うところは違うのではないか。こうした一時的なブームとは何も関係なく、変わらず日々の営業を続けているお店は、むしろ苛立ちさえ感じているのではないか。
もしそうであるならば、「本屋さんを紹介する」って、どうしたらいいんだろう。
 
この迷路からは、まだ抜け出せていません。
でもやはり「書店で働く人の言葉」を聞くことからはじめたいと思いました。
じっくりと、長い時間をかけて、その人の生い立ちまでさかのぼって話を聞く。
いわゆる「本屋さんの話」にはならないかもしれない。
でもきっと「本屋さんてなんだろう?」と考えるきっかけになる。
そんな試行錯誤を、しつこくたどる連載をはじめます。

 ( 毎月第4水曜更新 )


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社