「良い本屋」ってなんだろう〜日野剛広さんの話(3)〜


 
 ときわ書房志津ステーション店では、2018年2月から3月にかけて、東日本大震災をテーマにしたフェアを開催した。
「被災者の体験を読む」というくくりで本を選び、日野さんは良い本を揃えられたという自負があった。ツイッターでも評判になり、選書した本の作家さんからも御礼のリプライが届いたりした。
 
「でも売れ行きはまったく駄目でした。フェアの売上げ目標金額には程遠い結果で。こちらとしては、ぜひ読んでもらいたいという思いは強かったんですが、結果が出ない。良い本を揃えたところで手に取ってもらわないと何の意味もないんです。展示会をやっているわけじゃないので。
 ここで諦めて売れ筋ばかりを揃えるのもいいんですが、一方で、このフェアで扱ったような本を売る方法を模索していて、いま煮詰まっているところです。見ておしまい、購入に至らないというのは、なんらかの原因があるはずなんです。売れる実績をつくって、認められることに書店の意義がある」
 
 ツイッターなどのSNSで反応してくれるのは、必ずしも地元のお客さんではない。どちらかといえば、遠方に住む本好きの人だ。店のツイッターアカウントを開設して以来、全国から来てくれるのは、とてもありがたいと思う一方で、自分たちがほんとうにターゲットにしなくてはならないのは、地元のお客さんだとも思っている。
 
「遠方からわざわざうちの店に来てくださるのは、とても嬉しいんですが、やはり何回もは無理でしょう。正直なところ、地元の人に、ふだん使いとして来ていただかないと売上げが立たない面があります。まず地元の人に店の存在を知ってもらって、どんな品揃えなのかを見てもらう。逆に、がっかりさせてしまうこともあるはずです。それは背中合わせですね。震災のフェアに並ぶような本以前に、話題の新刊がちゃんとあるのか、と」
 
 店は志津駅と直結した6階建てのビルの3階にある。改札と同じ階にあるから地元の人ならば知らない人はいないだろうと思うが、駅を利用しない人にとってはなかなか見つけにくいかもしれない。というのも、ビルの1〜2階はパチンコ店で、外観はパチンコ店の巨大なビルのように見えるのだ。外側からみると、中に書店があるような雰囲気ではない。
 駅ビルの周辺は、マンションが多く建っている。人口は少なくないはずで、だからこそ店を認知してもらって、日常的に来てもらうことに力を注ぎたいと日野さんは思っている。
 

 
 最近は、空いた時間や休みの日に、他の店を訪れることが多くなった。
 
「どうしても同業者目線で見てしまって、刺激を受けたり嫉妬するお店はいっぱいあります。
 2018年2月に閉店した代々木上原の幸福書房さんは、初めてうかがったのが3年前。うちの店では海外文学が売れなくて売場を縮小していたんですが、あの棚を見て、ちゃんと手をかければ棚は生きてくると気づいた。
 要は商品の仕入れなんですよね。幸福書房さんは単行本を2冊、棚にさすことで知られていましたが、いつ行ってもすごくきれいなんです。本が輝いているとか、そういうオカルトの話じゃなくて、ほんとうにきれいな本が並んでいて、それが購買欲をそそられる。ものが揃っていて、きれいな形で並べる。そうした基本的なことが自分はできていなかったと反省しました」
 
「良い本屋」というのは、いろいろな意味があるし、人によっても違う。ベストセラーが揃っていないと認めないという人もいるだろうし、そこには興味はなくて、自分が知らない世界をみたいという人もいる。だから書店の形はさまざまで、それぞれの持ち味がある。
 
「本屋像を固めてはいけないと思うんです。いろいろな思いをしている書店員がいるなかで、自分の経験から書店はこうあるべきだと決めつけるのはよくない。
 売上げを上げないと店が存続できないという大前提がまずあり、儲けを優先して売れる本だけを置く、人を減らして効率化をはかる、という方針を会社から要求されることもあるでしょう。でもたとえば人が減って店のオペレーションが破綻し、売場はがたがたになり、自分が希望する品揃えをする余力もないという書店員もいっぱいいると思う。現場が自分の頭で考えて売場をつくるのが大事だと思うけど、諸事情でできない場合もある。
 いろいろな本屋があってしかるべきで、その存在を尊重しあってやっていかないと、豊かさが広がっていかないなと感じることがあります」
 

 
 以前は、日野さんも「書店とはこうあるべき」と考えていたことがあったという。各地の本屋さんを見て回り、最近になってそうした固定観念が崩され、どんな本屋でもいいじゃないかと思うようになった。
 
「僕はいま、店舗責任者という立場で会社からある程度の裁量を持たされているから、恵まれているほうだと思うんです。あくまで比較の話ですが。
 自分が望む切実な選書に時間を割いて力を注ぐことができている。でも一方で、自分のやりたいことに注力しすぎて、ほかの、たとえば実用書の分野は後回しになってしまっている。これは非常によくないです。時間を区切ってやるとか、自分なりのシステムを構築しなきゃいけないと思っています」
 
 人手が足りないとか、すべてのジャンルを把握しきれないとか、売上げが思うように上向かないとか、そういったすぐには解決できそうもないことに対して絶望していますか? 恐る恐る聞く。
 
「そこまででは……絶望している暇もないというか。以前は好きでもないことをやらなきゃいけないと思っていましたが、いまは少なくとも好きなことはできていますからね。だからといって希望があるわけでもないです。
 先細りなことは間違いないでしょうけど、角度を変えてがんばっている若い人たちもいます。僕はこのままチェーンの書店の中で、ときわ書房でやっていくというのが、いまやりたいことです。うちのお店は、まだまだできていませんからね。未完成です」
 
 日野さんのなかには到達点はありますか?
 
「わからないです。なにをもって到達点とするかは。売上げ目標はありますが、それをクリアしたらOKという話でもないですし。死ぬまでわからないかもしれません」。
 
 絶望はしていないが希望があるわけでもない。行き着く先も定かではない。でも日野さんは、すくなくとも自分が戦うべき場所は見つけた。そこに光が差している。

 ( 毎月第4水曜更新 )


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

いくつかの転機〜日野剛広さんの話(2)〜


 
「物心ついてからは音楽一辺倒で、本もそれほど読まず、どうして書店員になったのか不思議に思うでしょうが、きっかけはあります」。
 
 日野さんは、亜細亜大学法学部に入学する。そこに短期留学プログラムがあった。アメリカ・ワシントン州の提携する大学への派遣留学で、期間は5ヶ月。日本から70人くらいで行き、寮で生活する。現地に日本人スタッフはおらず、授業はすべて英語だった。
 
「当時そこに、美しいブロンドの先生がいらっしゃいました。歳は8つくらい上だったと思うんですが、ようするに僕は彼女に惚れてしまったんですね。恋は英語を上達させました。今ではすっかり忘れてしまいましたが。最後の1ヶ月になると、もうすぐ帰国だというセンチメンタリズムもあり、先生をデートに誘ったんです。そうしたらなんとOKしてくれて! ドライブに行きました。運転は先生がするというマヌケな話なんですが。
 大学があったのはワシントン州でシアトルの次に大きい街であるスポケーンの近く、チニーという小さな街で、先生はショッピングモールの中にある本屋に連れていってくれたんです。とても魅力的な店で、ここで先生は1冊の本を薦めてくれました。原題で『The Giving Tree』(シェル・シルヴァスタイン・著)という本で、日本だと『大きな木』(村上春樹・訳)というタイトルです。ギビングツリーという書名のとおり、人に与え続けることがテーマの絵本なんですが、英語が未熟な僕でも内容にえらく感銘を受けて、帰国したら本屋でバイトしようって思ったんです」。
 
 9月に帰国すると、日野さんはさっそく書店アルバイトの募集を探す。当時の実家が谷津(習志野市)だったため、近隣で見つけたのが船橋駅前のときわ書房。応募してみごと採用され、書店員生活がはじまった。
 船橋本店で3年アルバイトとして働き、大学を卒業して、ときわ書房に就職する。1993年、25歳のときだ。
 
「はじめは雑誌の担当でした。現在はすこし勝手が違いますが、当時は雑誌は毎月の売上げが安定しているから予測が立てやすいジャンルだったんです。世間の情報がダイレクトに取り上げられているので、売り伸ばし方も鍛えられます」。
  
 書店員の仕事で「担当になる」とは、仕入れ担当になることだ。膨大な量の出版物の中から自分の才覚で入荷するものを選び、冊数を決め、並べ方を考える。さらに、棚の乱れた並びを整え、ポップ(本の内容や推しポイントを書いた小さな紙片)をつくるなど、お客さんの目に止まりやすいように工夫をする。それが「棚をつくる」ということだ。
 一般的には、取次会社がそれまでの実績(どんな本をどれくらい売ったか)を勘案して、それぞれの書店への出荷数を決める「パターン配本」という形がとられている。だが、その「パターン配本」を見越して、さらに入荷数を増やしたり、配本では入ってこない本を注文したりするのが、書店員の重要な仕事のひとつといえる。
 雑誌・文庫・文芸・実用書・学習参考書・コミック・児童書といったジャンルによって、棚をつくる手法は変わってくる。自分の担当が変われば、そのジャンルの傾向と対策を練らねばならない。毎日入荷してくる相当数の新刊を売場に出すことに加え、出版社それぞれの特長を知り、テレビ放映で取り上げられたり映像化されるなどで需要が高まる本をいち早く注文・陳列するなど、日々の仕事は山積みだ。そして本は重い。書店員はかなりの激務である。
 
 日野さんは、書店で働きはじめたからといって本が好きになったわけでもなかった。
 
「雑誌担当のときも、音楽雑誌やディスクガイドなどには興味をもてるんですけど、あいかわらず読みものはあまり好きじゃない。書店員といえば本好き、本好きといえば文芸書、というイメージからはかけ離れていました。
 若い頃は休みの日に他の書店を見に行くということもいっさいなく、ディスクユニオンとタワーレコードを往復して、お金は全部CDやコンサートチケットに使っていました。音楽が最優先事項。主に洋楽です。
 10代の頃はローリング・ストーンズやブラックミュージックの良さが理解できなかったんですが、留学中にブルースやソウルに触れて好みが変わりました。大学在学中はストーンズにどっぷりはまり、サークルではコピーバンドもやっていました。バイトを始めてCDも買えるようになったので、過去の名作を買い漁り、追体験で60~70年代ロックを聞きまくりましたね。
 でも基本はニューウェイブ、オルタナティブロックが好きなので、90年代にリアルタイムで聞いていたのは、THE STONE ROSES、SUEDE、OASIS、PRIMAL SCREAM、RADIOHEAD、PEARL JAM、そしてMASSIVE ATTACKなどです。THE SMITHSは10代の時に解散しちゃったので追体験です」。
 
 音楽の話になると、日野さんの目が熱を帯びて輝きはじめる。言葉があふれ出る。
 
「国内だとまずBLANKEY JET CITY。青春そのものでした。他にBOOM BOOM SATELLITES、Buffalo Daughter、ニューエスト・モデル、エレファントカシマシなど。
 でも振り返って一番好きなのはBLOODTHIRSTY BUTCHERS! 
 私にとって、もっとも大事なバンドです。フロントマンだった吉村秀樹氏が亡くなってしまい、いまは事実上の活動停止状態なのですが、彼らの『kocorono』(1996年)こそが、無人島に持っていきたい1枚です。アルバム収録の「7月」という曲、この曲の素晴らしさを共有できない人とは友達にはなれませんね」。
 
 勢いは止まらない。
 もちろん野外フェスにも、よく行った。
 
「サマーソニックは毎年のように行きました。第一回のフジロックにも行きましたよ。Red Hot Chili Peppers目当てで。台風の大雨で帰りのシャトルバスがぜんぜん来なくて、4時間くらいかけて山を下りて始発で帰り、仮眠して15時から仕事しました。なかなか貴重な良い思い出です」。
 

 
 一方で、ちょっとした転機もあった。
 
 市川FMという地方局からの依頼で、ときわ書房の3人の書店員で、毎週、本のレビューをすることになったのだ。
 
「このラジオの仕事をきっかけに、本を読むようになりました。番組はあまり長く続かなかったし、終わったらまた読まなくなるんですが、本に対する意識がすこし変わった気がします。阿部和重、重松清、金城一紀などを読み始めました。
 そしてこのころから、漫画をぱったり読まなくなりました。それまでもそんなに読んでいたわけではなくて、『北斗の拳』目当てでジャンプを読み始めたのが高校生で、『魁!!男塾』とか『ジョジョの奇妙な冒険』とか、バイオレントなものをよく読んでいました。書店員になってからもアフタヌーンで『寄生獣』や『地雷震』を読んでいたんですが、30歳を過ぎたあたりから読む気がなくなって……自分でも理由がわからないんですが」。
 
 ときわ書房で働いて28年、「書店員としては死んでいた」時期を経て、自覚を強くもって仕事を見つめはじめた今、自分がこの職業に向いていると思うかどうか、聞いてみた。愚問とは感じながらも。
 
「ふたつの側面があると思うんですね。選書やバイタリティーを発揮するという側面でいうならば、僕は天職として考えたいです。もうひとつ、商売人という側面では向いていない。
 たとえば、アイドルの写真集とか、付録つきの女性誌とか、売れるであろうものは必死で手配すべきなんでしょうけど、そこに労力を割くのが苦痛なんです。かなり嫌々やってます……。商売には向いていないですよね。
 でも、品揃えやフェア企画のことを考えるときは、収入度外視ではなく、店を存続するために、お客さんに来てもらうために策を練っていて、さすがに道楽でやっているわけじゃない。それに自分の好きなものだけを揃えた世界は、はたして楽しいだろうか、とも考えます。商売の下世話さをもちつつやっていくことに面白さがあって、だから本屋で働いているのかなあと思います」。

 ( 毎月第4水曜更新 )


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

いま、本屋を一からやり直している〜日野剛広さんの話(1)〜

 東京都心から京成電鉄に乗っておよそ1時間、志津駅に降り立つ。住所は千葉県佐倉市。平日の昼間、人の行き来は少なく、駅の自動改札を通るときのカード認識音が妙に響く。駅はショッピングビルと直結していて、その3階に「ときわ書房志津ステーションビル店」がある。改札から歩いて1分とかからない。
 
 この本屋さんを知ったのは、ツイッターだった。
 2017年3月に『東京こだわりブックショップ地図』という本を上梓し、自著が本屋さんにどのように受け止められているのか気になって、書店や書店員アカウントを探しまくった時期があった。いわゆるエゴサーチというやつである。
 書店アカウントは新刊情報など表向きのつぶやきが多いのに対して、書店員さん個人のアカウントは正直な心の叫びが多く、店で働くなかでの日々の悩み、逡巡、ときに怒り、あきらめ、とまどい、といったものが真に迫っていた。自著のなかで、「書店員さんの試行錯誤をしつこく文字にしていきたい」と書いたのが恥ずかしい、自分はなんにもわかっちゃいなかった、と思った。
 なかでも、雑誌などで取り上げられることは少ないが、長く街に根付いて地元の人しか知らないようなお店で働く人の声が、心に残った。そのなかのひとりが、日野剛広さん。ときわ書房志津ステーションビル店の店長である。
 

 
 日野さんは書店員になって28年になる。
「ときわ書房の船橋本店でアルバイトをはじめたのが22歳のときで、大学を卒業して1993年に入社、社員になりました。だから四半世紀以上、書店員をやっていることになるんですが、その自覚を強くもちはじめたのは、ここ2〜3年です。それまでは極端なことを言えば、書店員としては死んでいました。やっといま、本屋を一からやり直しているんです」
 
 自分はなぜ書店員をやっているのか、そうした職業的自覚をもちはじめたきっかけは何だったのだろう。今から2〜3年前に何があったのか。
 
「僕が志津店に異動になったのは2013年1月でした。その前は八千代台店に13年。かなり長くいたんですが、自分の仕事に行き詰まりを感じていた時期でもあったんですね。かといって志津店に異動してきてリフレッシュできたわけでもなく、なんとなく日常を引きずったままで、むしろ環境が変わったストレスが大きくて。
 正社員は僕ひとりだから、書籍、雑誌、コミックといった各ジャンルをひとりでみていかなきゃならないし、CDも扱っている。いちばん困ったのはコミックです。それまで担当したことがなかったし、片手間でできるジャンルでもない。僕はバランスが良くない人間なので、なんだか作業ばっかりしていて考える余地がない感じでした。
 さすがにやりきれなくて、CDやコミック、児童書を担当するパートやアルバイトが入って、任せるようにして、すこし気持ちに余裕ができた。それが2015年くらいです」
 
「それと、世の中が急速に悪くなってきたでしょう? 貧困の問題があるし、ヘイトスピーチは野放しだし、2015年には安保法制(平和安全法制関連2法)の可決(2016年施行)、2017年には共謀罪(テロ等準備罪を新設した改正組織犯罪処罰法)が施行されたし、なにより嫌韓本の問題がある。
 この急激な変化は、書店員として、どういう立ち位置でいるかということを考えるきっかけになりました。本屋で何ができるんだろうって」
 
 ツイッターでの日野さん個人のアカウントや、日野さんがつぶやくお店のアカウントでは、積極的に、ときに熱情をもって、現在の政権や世情に対しての批判を発言している。現状に対する自分の思いを飲み込んで静観するという、波風が立たない穏当な方法を選ばず、己の立ち位置を、その逡巡も含めて、ツイッターで表明しているところに、書店員をやり直している日野さんの意思と覚悟を、わたしは感じている。
 店内をじっくり見ていくと、人文書やノンフィクションの棚に、ひときわ熱量を感じる。ノンフィクションの新刊、既刊が並ぶ横に、憲法、レイシズム、戦争関連の本が続いていく。日野さんが担当している棚だ。
 
「ノンフィクションは現実をテーマにしていて、いまほんとうに読んでもらいたい切実な本というのは、ここなんじゃないかと思っています。もちろん実用書や小説を軽視しているわけではなくて、自分のなかでは、ということですが。
 一方、憲法の本は、いまの時代、ある意味ノンフィクションであって真剣に考えていかなくてはいけない問題ですから、中心的分野にしていきたい。『鉄筆』という出版社の『日本国憲法 9条に込められた魂』という本があって、憲法作成に携わった幣原喜重郎首相が9条を制定するいきさつと、本人の考察が書かれているんです。この本を中心に据えて売るために関連書で固めていったのが、あの棚です。
 一冊の本があって、それを核にして、いろいろ選書していく。そういう関連づけた並べ方は手にとりやすいと思いますし、自分でやるのも好きです」
 
 棚の並びを見ると、本の関連づけに無理がなくスムーズに自分の思考が流れていくのを感じる。日野さんは、さぞや読書家なんだろうと思った。
 でも「とんでもない!」と笑う。「とくに人文書の分野は、哲学思想などを勉強しているわけではなく、はったりで並べているようなものです。いやもう、はったりだらけですよ。はったりをうまく形にするのは、若いときから案外得意なほうだったかもしれません。鋭い人にはもちろん見透かされるんですが」。
「幼いときは、本が嫌いというか、読みものが苦手でした」と日野さんは話す。
 
「幼稚園のときは鉄道が大好きで、将来は電車の運転手になりたかったんです。当時は大阪の阪急電車の沿線に住んでいて、阪急も好きでしたが、特急の名前とヘッドマークを熱心に覚えましたね。折込広告の裏に自分で考えた空想の路線図を書いたり。地図や時刻表、あと図鑑を愛読していました。
 当時は、物語を最後まで読み切れなかったんですが、図解や絵と解説文で成り立っている図鑑は好きでした。鉄道のほかにも、動物や昆虫の図鑑も好きで、やたらと固有名詞ばっかり覚える子どもではありましたね」。
 
 クラスに同好の士がいたこともあって、小学校4〜5年生くらいまでは鉄道好きが続く。大きな転換期を迎えるのは、小学6年生のときだ。
 
「YMOです。忘れもしない、フジカセットのCMですよ。メンバー3人が出てきて『テクノポリス』が流れるやつ。見て一瞬で心を奪われました。小学6年生のときに『ライディーン』が出て、正確には前年のレコードに入っていた曲なんですが、あれで火が付いた。母親は男が化粧するなんて言語道断だって顔をしかめるし、部屋に貼っていたポスターをはがしなさい! って言われたり。どこか踏み込んではいけないようないかがわしさに惹かれたのかもしれません。ともかくYMOが人生を踏み外したきっかけです」。
 
 中学に入ると、YMOから洋楽へと興味がうつっていく。
 
「中学2年のとき、僕は学研から出ていた『サウンドール』というYMOをフィーチャーしている雑誌を少ない小遣いで毎月買っていました。同じクラスに野球部のエースで不良の小林君という子がいて、彼は洋楽派で『ミュージック・ライフ』(シンコー・ミュージック)を買っていた。で、互いに貸し借りをしたりして仲良くなったんです。JAPANとかデュラン・デュランとかカルチャークラブとか、ブリティッシュ・インヴェイジョンといわれるイギリス勢が人気があった時期ですね。83年にYMOが解散しちゃったこともあって、洋楽に傾倒していきました」。
 
 小林君とは、音楽を通じてかなり意気投合したが、その後の連絡はとっていなくて、どこで何をしているのかはわからない。
 日野さんはのちにバンドを組み(ボーカル担当)、大学を卒業してからもバンドを続けたいがために時間が比較的自由になりそうな公務員試験を受けるも結果ははかばかしくなく、書店に就職することになる。

 ( 毎月第4水曜更新 )


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社

はじめに

2017年3月に『東京こだわりブックショップ地図』という本を上梓しました。月刊『散歩の達人』に9年半にわたって連載したものをまとめたもので、その連載では毎月、新刊、古書を問わず街の小さな本屋さんを紹介していました。
開店したばかりのお店、2代目が継いでいるお店、取材して掲載したのち、あまり年月を経ずに閉店してしまったお店、それぞれのお店に歴史がありました。
毎月、店主や書店員さんに会いに行って1時間ほどお話を聞き、店内をじっくり拝見し、滞在時間はいつも2時間ほど。心の底から満たされる時間でした。当たり前のことですが、同じ店はふたつとなく、たとえ店主に憧れの店があって、自分の店をそれに近づけようとしていても、店主自身の色は消すことはできないように見えました。
 

 
お店を紹介することは、そこで働く人の言葉を伝えることだと思っています。
 
——取材していて感じるのは、書店で働く人は、いつも迷っているということだ。(中略)悩みはつきることがない。この試行錯誤に、わたしはいつも心を動かされる。そして、その試行錯誤の数々を、しつこく文字にしてきたいと思った。——
 
本のまえがきに、このように書きました。
いわゆる書店紹介をテーマにした書籍や、雑誌の特集が量産されるなか、自分の寄って立つ先はここにあるように思ったからです。とはいえ、この目標を本で達成できたとは思えないし、そもそも読む人はおもしろいのか、さらには書店員さんは「書店紹介の記事」についてどう思っているのか……。
本を出してからというもの、こうした疑問と焦燥がぐるぐると渦巻きました。
 
本屋さんは楽しい! だからもっと本屋さんへ行こう! という意見に異論を唱える人は少ないと思います。わたしの本に限らず、世の書店紹介はほとんどがこの論調です。そうした本や雑誌が、実際に本屋さんで売られているわけです。
量産されるということは、まるで売れないわけではないようだけれど、実際はこうした本を出版する側と、読む側と、売る本屋さん側では、思うところは違うのではないか。こうした一時的なブームとは何も関係なく、変わらず日々の営業を続けているお店は、むしろ苛立ちさえ感じているのではないか。
もしそうであるならば、「本屋さんを紹介する」って、どうしたらいいんだろう。
 
この迷路からは、まだ抜け出せていません。
でもやはり「書店で働く人の言葉」を聞くことからはじめたいと思いました。
じっくりと、長い時間をかけて、その人の生い立ちまでさかのぼって話を聞く。
いわゆる「本屋さんの話」にはならないかもしれない。
でもきっと「本屋さんてなんだろう?」と考えるきっかけになる。
そんな試行錯誤を、しつこくたどる連載をはじめます。

 ( 毎月第4水曜更新 )


著者プロフィール

屋敷直子  Naoko Yashiki
1971年福井県生まれ。2005年よりライター。
著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。

©夏葉社